楽しみにしていた今月の満月である「フラワームーン」には縁がなく、がっかりしていた夕刻近く、神戸の友人から「いかなごのくぎ煮」が届く。
阪神淡路大震災を機に水揚げが落ちていたのは残念で、早く、鰆と同じ様に瀬戸内沿岸で春の訪れを告げる「いかなごのくぎ煮」が、何時に成ったらかつてのような活気を戻すのだろうと案じていた。
瀬戸内沿岸で育った私は、特に兵庫県の明石で捕れるいかなごのくぎ煮は神戸の名物でもあり、瀬戸内沿岸の郷土料理の風物詩でもある。
幸いに、神戸の空襲を免れて、私たちは父親のふるさとの岡山でも広島に近い小さな漁村の町に疎開したのである。
その頃は、まだ、祖父が元気で、毎日市場に水揚げした魚を求めて、私にすり身にして、口に運んでくれて育った。
おかげ様で、歯と骨に関してはすこぶる未だに、問題なく硬い物も抵抗なく食している。
後に仕事の関係で、現在の浅口市に3歳の時に移り、17年間を過ごした。
そのころから、神戸での取引先から「いかなごのくぎ煮」が送っれて来たのである。
更に、友人が神戸に嫁ぎ、毎年、「懐かしいでしょ」と明石で捕れた「いかなごのくぎ煮」を送ってくれていた。
久しぶりに、ふるさとの味に、コロナ禍でなければ、飛んで帰り、旧交を温めたいところだが、我慢、我慢。
フラワームーンには縁がなかったが、私はふるさとの味に満足した。