凡そ一週間近く、私は「責任」とは何ぞやと、考えている。
愛用の辞書によれば、責任とは「引き受けてなすべき任務、義務と」と明瞭に表示している。
まったく、愛用の辞書が示す通りであると解釈していた。
処が、処がである。
「責任」が意味することを理解していない年代ではない、突然とは言え、わが身に降りかかってくるとは思わなかった。
しかし、私の性質からいって逃げることができない現実が山積している。
苦境に強いと、友人は私を評価してくれるのは有難いことだが、それぞれのテリトリーがあるために、「責任」という御旗を立てて解決できない。
特に、コロナ禍に老いて他者とのコミュニケーションは遮断された状態が続いている。
任務を果たすには、個人情報等々の個人の情報が守られている以上、数人のルール違反に対しても、お手上げである。
本当に、これで日本人としてのブランドは守られるのだろうかと、案じるのは私だけであろうか。
これまでの日本伝統の歴史を持ちだすと一蹴される時代の流れに、私は、不安を覚えると共に、より良く年を重ねるという問題に、頭を抱えてしま
う今日この頃である