高齢化が進んでいるのか、長びくコロナ禍でコミュニケーションにおいて
表現力が乏しくなってきたのか、受け止め方に問題があるのか、私はかなり、友人の言葉に傷ついていた。
近況報告のやり取りの中で、必ず「私は心配していないから」と言われると、私には返す言葉が見つからないのである。
関心のあることについては、私の返事を待っているが、個人的に返事に困る場合も、お互いにそれぞれの事情で話せないこともある。
問いかけて来た内容に話を続けると、必ず、「私は心配していないから」
という返事が返ってくる。
長年の友人で、一人住まいの私を案じて、忙しい立場でありながら、本当に一所懸命支えてくれるのだが。
既に、口癖と思って我慢していたが、頻繁に発するあまり私は、とうとう
堪忍袋の緒が切れた。
友人曰く「あなたを必要としている人がいる限り、私はやり抜くであろうと、信頼しているから、『心配していない』と言い切れるし、あなたにはまだまだ、使命が残っているから」との返事である。
5月11日の日本経済新聞のコラム欄「あすへの話題」に文化人類学者の
上田紀行氏による「傷つく意味」を切り抜いてあったことを思いだした。
文末に、「傷つくことは次なる成長へとつながっている。それが人生を深め、新たな世界を開いていく」とある。
されば、わが友人は私を更なる人生に、エールを送ってくれていると、受け止めて、寧ろ感謝しなければならぬと、心に修めた。