2019年の五月のこの季節、その前年に61年ぶりにふるさとの小学校の母校に帰る機会があった。
嘗ての面影はない母校に、時の流れを感じたが、間もなく、空気に、ふるさとの懐かしい記憶が蘇った。
その日から、61年の空白は何の抵抗もなく、寧ろ、新鮮さの中に懐かしさを覚えると共に、なんとも言えない郷愁が溢れてきた。
又、ふるさとに帰りたいという想いが、帰京の新幹線の中で溢れ、自分でもこんなにふるさとに目覚めるとは意外だった。
幸いに、2019年になって、願いが叶い、母校の小学校のコミュニティスクールのお手伝いをする機会に恵まれた。
私の時代は運動会は、天高くの秋だったが、現在は5月に変わった。
小学校時代の私は、病気がちで運動会に参加した記憶が、高学年になって
から、参加した記憶がぼんやり残っているだけである。
母校の運動会を機に、ふるさとの素晴らしさを改めて訪ねてみたいと思い
1週間近く、宿泊して、ふるさとを堪能しようと計画した。
5月22日の日本経済新聞の日曜版に、重要文化財として「木造校舎」の小学校の記事が目に留まった。
紹介されている3校は、重文に指定された今も小学校で学んでいるという。
記事に私は、新緑のふるさとの今は、閉校になっているが、浅口市立鴨方西小学校阿部山分校を思いだした。
昭和19年から4月から、昭和48年までの29年間、学び舎であったこじんまりとした校舎の前は、小さな運動場、ブランコがあり、何といっても
素晴らしい桜の木が、その歴史を物語っている。
嘗ては、葉たばこの栽培をしていたそうだが、私は車から降り、思い切り
運動場で深呼吸し、桜の太い幹に触れているうちに、気のせいか、元気な
子どもたちの声が聞こえてきた。
何とも言えない、温もりを残した小さな小学校の校舎に、すっかり魅せられた忘れないふるさとの小学校の息遣いを感じた。
次回はあの歴史を刻んで大木の桜咲く季節に訪れたいと思っている。