2016年から旧暦を使ったブログを始めて以来、何故、6月が水無月なのかと、考え続けてきた。
新暦でいえば、田植えに必要な水の力が欠かせないのであるが、陰暦によれば、一か月先に起因する。
つまり、稲作も、成長期になり、寧ろ、育ち始めた稲の成長に害ある次なる季節に該当する。
そんな私の長年の戸惑いに、6月1日の日本経済新聞のコラム欄「春秋」が、明快に答えている。
コラム欄によれば、この春に亡くなった俳優の柳生博さんが古い暦に関心があり、自著「和暦で暮らそう」に古来の月の呼び名を紹介している。
6月は水無月の身にあらず、田水之月(たみの月)、風待月、鳴雷月(なるかみつき)。
更に、蝉の羽月(せみのはつき)と続く。
どれを取り上げても、季節感を感じるようで、確かに、陰暦なので、7月に該当するのであるが、先月の真夏日と言い、自然のあるべき趣に想えるのは私だけだろうか。
やはり、「水無月」は、「7月」であれば、何となくしっくりとする。
とやかく言っても、今日から「水無月」は始まり、ふるさとでは田植えの
季節であり、「水無」では、米の生育に苦労する。
私はその苦労を想うと、「田水之月」がピッタリくるのだが。