思いついたのは、今年の2月だった。
思い立った理由は、主治医から、これまでの体験を生かした活動であれば
私がちんまりと、自宅にこもっていることが、血圧の上昇など、メンタル的にこれまで、ふるさとの活動を始め、動き回ってきた私にとって、このコロナ禍は、大変な苦痛であり、本来の生活リズムが崩壊した。
それに対して、私も戸惑うばかりで、何ら良き解決方法がないままに、今日まで、いらだつ心を抑えながら、私なりに頑張ってきた積りである。
昨夜、リセットのつもりで宿泊したホテルに、室内にある冊子に岡山県について、紹介記事が掲載されていた。
県民性は瀬戸内海に面し、降雨率の低さから「晴れの国」と言われ、気候の温暖さから明るく開放的な人が多いとある。
正に、その通りで、私には、どうしても、17年間過ごした住みよさと、明るさが、どうしても、ふるさとに対する想いが消えないのである。
しかし、60年の居住実績を持つ私には、ふるさとより、全てが現在の居住地に実績や繋がりがある。
私は、敢えて、故郷への思いを断ち切るために、これまでの体験を生かした企画を考えている。
社会福祉協議会、地域包括支援センター、民生委員、保護司の立場の方の理解と支援によって、第一回の、打ち合わせをスタートすることができたということは、私の「呟き」が現実化してきた、始まりの日となった。
理事長にしろ、今回のプロジェクトにしろ、私はまだやるべきミッションがあるのだと、想いを新たにした。