「夢育」という教育

岡山県は、私の知る限り、教育県として知られていた記憶がある。

 

毎日、戻り梅雨でともすれば気持ちがすっきりしない毎日が続いている。

 

いつもの通り、私は母校の小学校と、お山を一つ越えた矢掛町の川面小学校のブログを欠かさずに関心を持って、楽しみにしている。

 

嘗て、コロナ禍の前は、、母校で教頭を勤めていらした先生が、矢掛小学校の校長先生に就任なさって以来、私は母校と同じ様に必ず、川面小学校のブログ、校長先生による一か月の便りを心待ちにしている。

 

母校の小学校の校長先生を始め、それぞれの校長先生の教育に対する情熱が感じられ、思わず引きまれる私である。

 

岡山県は「教育県」との評価が高く、特に今回紹介されていた今、岡山県が取り組んでいる「夢育(ゆめいく)」に、私は明るい未来が開けると、

とても感動というか、もう一度私は「夢育」を、都会の中で、カサカサに

乾ききった心に、とても素晴らしいと、さすが教育県と誇りに思った。

 

纏めて引用紹介すると、「一人ひとりの子どもが、自分の中で「夢」を育みながら、それに挑戦していく経験を通して、「意欲」や「自信」などの

「自分を高める力」を養っていく教育のことだと提議づけてある。

 

自分と向き合う力、自分を高める力、他者と繋がる力、地域と繋がる力の

4点を力を養っていく力を高める教育である。

 

これは、子どもと限定したことではなく、社会人とし欠くべからず必要な問題と思っている。

 

しかし、今日も私は目を背けることのできない国民性の違いというか、カルチャーの違いが「ごみ問題」に如実に現れている。

 

既に、限界を超えている現実に、手をあぐねるしかないもどかしさを感じている。

 

カルチャーの違いというか、あらゆる方法を駆使しても万事急須である。

 

しかし、私は何時かは理解してくれるまで、理解できるように努めていきたいと、体力と相談しながら努めて行きたいと思っている。

 

うっとしいお天気と共に、重苦しい難題に、ともすれば、全てを投げ出して、ふるさとに帰りたいという想いを振りきって。