今日は語呂合わせで「鋏の日」だそうだ。
「鋏」にあやかり、切れ味よく、スパッとした思い切りの良い日々を過ごしたいと、思いつき、身の回りを見回した。
先ずは、キッチンでの利用回数の多いゾリンゲンのプチナイフと料理ばさみ、関の孫六の包丁が並んでいる。
裁縫箱には今も、母親譲りの、銘が入っているが、一寸、読み切れないチョキチョキ鋏が治まっている。
更に、切れ味が些か衰えているが、父親が使っていた時代を感じるペーパーナイフを今も私は愛用している。
引き出しには、今でも鉛筆は肥後守の折り畳みのナイフを使っている。
工具箱にはオルファのカッターナイフがある。
又、ハンドバックのポーチには、必ず、病院ボランティアを始めた際に、看護部長から頂いた、先の丸い小さな鋏が入っている。
加齢のせいもあるが、私は、袋詰めを両手が開封するのが苦手もあるが、
鋏で真っ直ぐに切るという拘りがあるためである。
こうして、改めて「鋏」からの枠を広げてみると、未だに、切れ味は衰えていない。
唯一つ、現在のマンションに転居した際に、うっかり、砥石を持ってこなかったことが、残念である。
亡くなった父親が、切れ味が悪くなると、砥石で、研いでいた姿を懐かしく思いだす。
研ぎたての包丁は、まず、父親が切れ味を確かめて、決して、研ぎたての包丁は、私にはある程度、使いこなしてからと、母親に注意していたのも
父親の愛情の一つと有り難く思っている。
随分、私の周囲には、必要とされる今日は「鋏の日」に因んで「切れる」道具を列挙した。
このように、歳を重ねても、適材適所、臨機応変に、何時までも必要とされる「切れ味」の良い人世を贈りたいと想った。