日本経済新聞の日曜版に別紙としての美術面が掲載されている。
先週から、エドヴァルト・ムンクの特集の第2回に紹介されている「病める子」が紹介されている。
それは疎開先で、保温器もなく、7か月で、社会に飛び出した私は兎に角、
病気との連続であり、77歳までの寿命を頂くとは、恐らくなく亡くなった
両親も想定外だったと想っている。
ムンクの「病める子」に見る母親の姿とは異なり、打ちひしがれることなく、気丈であったという子ども心に、母親の姿を高熱や苦しむ中で、実はしっかりと記憶している。
今、「かかりつけ医制度」を推進しているが、幸いにも「往診医」という
ドクターに私は、命を救われたのである。
兎に角母親は気丈な性格と、信念を持っていた人で、私が猩紅熱にかかった際も、往診医から、今夜が「山」ですと言い渡されても、「わかりました。この子の与えられた人生に任せます」と答えたそうだ。
既に、4歳児に私は「死生学」を母親が学ばせたように想っている。
しかし、今日の日本経済新聞の別紙日曜版に、ムンクの「病める子」に、改めて、亡くなった母親は気丈にふるまっていたが、本来は、ムンクにみる母親の姿ではないだろうかと、察している。
寧ろ、「病める子」が母親の苦しみに対して、母親の苦しみに寄り添っているように思えるのである。
私も、微かな記憶の中で、気丈な母親が一瞬見せた苦痛を覚えている。
しかし、私は現在、後期高齢者で独り住まいであるが、その時の体験が
今の私には貴重な教示となっている。