今朝、新聞広告で、JR貨物グルーに、あるふるさとの思い出がパッと頭に広がった。
山陽本線の我がふるさとの鴨方駅を利用しなければ、乗車する際も自宅に帰るには、踏切を渡らなければならない位置にあった。
長い長い貨物列車が通過する際に、一つ、二つと通り過ぎる列車の数を数えるのが結構、愉しみで、定かではないが、最後の車両には、車窓さんが
乗っていたようで、安全確認のためか、踏切担当者に合図を送る際に、私も手を振ると、応えてくれるのである。
一寸、話をバックすると、当時、踏切には、小さな宿泊所があり、担当者は、外に出て、確認していたのであるが、踏切の両側にはなく、愉しみに
出会わない側で待っている時は、一寸がっかりする。
2018年に帰郷した際も、山陽本線に乗り換えて間もなく、貨物列車のコンテナ車両がみえる。
かつて、これも、記憶が定かではないが、黒く、木製の頑丈な車両であったようだが、今、車窓から見える車両は、あずき色のカラフルに変わって居た。
ふと、東京駅では見かけたことがなく、国鉄の分割によって、異なっているのではないだろうかと、時代の変化と、加齢により、私の記憶の曖昧さに自分でも情けなく、想いつつも、寧ろ、大切な思い出としておきたい。