6時35分の月

今年初めての連休明けの朝、6時35分に廊下で見上げた夜空に近く、体感的に寒空に、煌々とした月が輝いている。

 

7日のウルフムーンから少しづつスリム化しているが、まだまだ、まだまだ

丸みのあるお月様に、私はそっと、今日一日もお願いねといった想いを託し、背筋を伸ばし、気を取り直して、リッセトする。

 

足首の痛みが年を超えて、私に遠慮会釈なしに刺激をしてくれる。

もう一方で、考え抜いたプロジェクトが、軸ブレしている危機感に、私は

出来うる限りの努力をして、理解をしてほしいとの想いである精神的な痛みが、肉体的な痛みに勝っている。

 

如何したら私の心の想いを伝えることができるだろうかと、思案しているが、之っといった決定打が見つからないのが現状である。

 

これまでスルーしていた日本経済新聞の経済面に「やさしい経済学」と題したか連載シリーズに目が留まった。

 

タイトルが「幸せに生きるために」という京都大学准教授の柴田悠氏による第5回目に「生きがい」を持つ重要性について、経済学には疎い私でも、

すんなりと受け止められた。

 

氏に依れば、「生きがい」(時間的・社会的に広がりのある幸福感)には

他者と繋ぐことができる「社会」が必要なのですと。

 

私は、その社会というか、小さな地域における人との繋がりを考えてきたわけで、それが今後の「生きがい」になってほしいと想ってきた。

 

兎に角、非常に細かくデリケートな部分へ関わることで、時間をかけても

焦らずに、諦めず、じっくり、腰を据えて取り組もうと想っている。

 

お陰様で、新聞記事にヒントを得た私は、折れかかった心に、今朝の月のような希望という明りを灯してくれた。