本音を伝える

越年してきたプロジェクトに対して、俗っぽい表現だが、手を変え、品を変えて、相手に伝えてきた積りであったが、やっと、協力先から、連絡が入り、私の本来のプロジェクトの意図の確認をしたいという。

 

嗚呼、やっと、私のもやもやを伝える場が来たと、足首の痛さより私には

この機会を逃してはと、出かけた。

 

心を開いて、私は30年近い病気の方を通しての体験しかないが、心の問題に対して、それなりに多くを学んできた。

 

私も、この3年間の新型コロナ禍により、これまで、走り続けることしかなかった生活に、感染予防のために急ブレーキをかけられたのである。

 

その反動は想像以上に、心身ともに堪えた結果、すっかり、想像を超える

異変を感じながらも、救いを求める先はなかった。

 

親友といえども、感染との危険には、どうする手当もなく、何時かは春が来ると云い聞かせてきたが、私には、余りの生活環境の変化に、平常心を失っていた。

 

恐らくこのような経験をした方はいるのではないだろうかと、自らの体験を通して、接していきたいとの想いが、自然発生的に生まれたのである。

 

凡そ、2時間にわたり、私は自分の心に抱えている想いを伝えた結果、私の

想いは通じた。

 

これで、一歩前進できるという喜びに足首の痛みを忘れるほどだった。

恐らく今回のプロジェクトは、私の人世の最後の締めくくりになるであろうと、自覚している。