昨日23日の日本経済新聞の「経営の視点」に、編集委員の石鍋仁美氏が、糸井重里社長の運営する「ほぼ日手帳」と言われる「手書き」手帳が売り上げを伸ばしているという記事である。
スマートフォンによる時間管理の時代に、敢えて紙の手帳なのか。
糸井重里社長によれば、「デジタル一辺倒ではなくデジタルとアナログが共存する時代になると以前から言ってきた」と。
さらに「デジタル機器は情報を共有するのにべ便利。しかし、人には共有できない、したくないものが沢山ある」
「ほぼ日手帳」とはどのような手帳だろうかと、気になる。
その点についても、「利用者は行動記録だけでなく自分の感情や思いつきも書き込める。映画の半券を貼る人もいる。字は汚くても自身が読めればいい。文字の乱れや予定を消した線も心の記録だ。一年終われば自分だけのコンテンツが完成する」
「感情移入の対象にもなる文具は、繊細で小さいものをめでる日本ならではの存在と言える」
昨年、私は肉筆について、ブログにアップしたことを思い出した。
丁度、コロナが2年目に入った年の初めだと記憶している。
何故、肉筆に拘ったかといえば、パソコンを相棒にして以来、漢字を思い出さない、字が乱れる、下手になったように感じるようになったからで、
隣接する図書館の学習室に通い続けた。
何時しかふっくらとしたペンだこも出来始め、少しづつ気持ちが安らかさになっていくのを感じた。
ほぼ日の手帳担当者の星野槙子氏は、新型コロナウイルスと重なり、「外出や会食が制限され、皆自分と向き合う時間が増えた」と感じたそうだ。
コロナ太りだなんて情けない自分にも、手書きという作業を見出していた時があったのにと、改めて、今からでも遅くない、リセットしよう。
私にとっては新聞は切っても切れない多くの知を学ぶ貴重な存在である。