何をしただろう

2023年一月、私は、希望を託してスタートした。

 

確かに、手帳には新しい年には毎日、何らかの予定が記載されているにしてはしっかりとした実りの感触がないのである。

 

「一年の計は元旦にあり」といった古臭い例えを持ち出すが、私の手帳には予定がびっしりと書き込まれている。

 

改めて、手帳で確認すると、確かに、落ちこぼれな毎日く実行している。

唯、一つだけ、先送りせざるを得なかったことに、悔しさを覚える。

 

私にとっては、何より優先したはずが、先送りになっていることが残念であり、悔しいのである。

 

最近棟下式という言葉を知った。

何でも長年住んだ住まいを手放す時に、感謝の気持ちを込めて執り行う儀式と知った。

 

私が目論んでいる居るプロジェクトと重なる部分があるやに想えた。

 

コロナ禍がなければ、日常生活に戸惑いをしないで穏やかに過ごせたはずが、コロナ禍によって、生活のリズムに変化を来したという想いを感じている方は少なくはないであろうと、打破したいと考えて来た。

 

ラジオ深夜便を聞きながら、眠れぬ夜を過ごしながら、私は考え続けた。

私の考えだけでは堂々巡りであり、新しい協力者を必要とする。

 

お陰様で睦月の最終日、頼もしい友人に支えらて、新しい世界の広がりを感じている。

睦月のことは、「もうこれっ切り これっ切り」として、前向きに進んでいくつもりいる。