断捨離プロジェクトの一つに、見える化の新聞記事の切り抜きを可能な限り、止めようと想ったのだが、どうしても、切り抜きたい記事に出合う。
7月10日の日本経済新聞の夕刊に、「麦からストロー」の見出し、こちらが「本物」といった見出しに、フリーズしてしまった。
記事によれば、全国有数の六条大麦の産地である福井県で、麦の茎を加工したストローの収穫期を迎えたという。
英語のストロー(STRAW)には「麦わら」の意味があると知った。
確かにストローといえば昔は麦の茎をストローだったと想いだしたが、私が記事に目をとめた根拠は、1950年代に、我が故郷の岡山県浅口郡(現浅口市)で、麦わらのストローを始め、麦稈真田、撚糸によるバンコック帽子などを、アメリカに輸出していたからだ。
確か、東京の本店経由で、帯鉄でしっかり梱包された木箱が、夕刻運送会社が引き取りに来るといった風景を今も、鮮明に記憶している。
更に、私の母校の小学校は、六条院小学校ですが、六条大麦とは無関係だが、小学校時代は、2日間ほど、麦踏み休暇があり、家族が一列に並び、手を後ろに組んで、踏んでいた風景も、懐かしく思い出した。
未だに、母校の学級園には、毎年、麦をうえ、子どもたちが麦踏みをしている。
零れんばかりに咲き競う白い夾竹桃の道を通り向け、両親の墓参に出掛けた私のバックには、切り取った「麦わらストロー」の記事が入っている。
墓石に近づくだけで、熱気を感じながら、私は、記事を広げ、父親に語り掛けていた。
戦後まもなく、アメリカとの輸出を再開した父親の「歴史」が、福井市の食品会社「大麦倶楽部」で、生かされ、不思議な繋がりを覚えた。
機会があれば、大麦倶楽部の代表取締役の重森弘美さんに御目に掛かりたいと想っている。