先週の22日の土曜日の午後、図書館よりリクエストしていた3月に亡くなった坂本龍一著の「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」が、新潮社から6月20日に発売になる情報を知り、待ちに待っていた書籍である。
リクエストした理由は、タイトルに魅せられたというのが正直な想いで、恥ずかしながら、恐らく「戦場のメリークリスマス」にしても、「ラストエンペラー」にしても、聞き分けることはできないお粗末さである。
間もなく、9月で4年目を迎える脳神経外科の手術の際に、生意気にも最悪の事態を覚悟していた私は、最期の言葉を秘かに考えていた。
思いつかないまま、今日まで憎まれっ子世にはびこっている。
手に取った図書の購入日が、凡そ、1か月後の7月21日になっているということは、察するに私が区内の図書館での第一号の利用者である。
遡ること、16日に岩永直子著の晶文社刊の「言葉はいのちを救えるか?」というこちらも、刊行日から2週間後の7月14日で、こちらも恐らく私が
第1号の利用者と察する。
編集の仕事に関わってきた私には、新しい紙特有の懐かしい匂いに、2冊とも待ち遠しく思っていた図書が期せずして、同時に、しかもピカピカの新書本である。
16日から、22日からと2冊を掛け持ちで、節電にも協力をすることなく、カーテン越しに日の出の強さを感じながら、読み続けた。
坂本龍一氏の最終章の「未来に遺すもの」『TIME』のためのノートと譜面の写真を見て、私は息をのんだ。
ノートに見覚えがあり、私は、引き出しからノートを取り出して、確信したのである。
ある会合でご一緒したことにある「ツバメノート」のノートではないか。
朝食もそこそこに、「ツバメノート」の本社に、坂本龍一氏の図書を持って、訪ねた。
黒澤明監督が使用していたのは知っていたが、アメリカにも進出しているが、坂本龍一氏の使用はキャッチとしていなかったそうだ。
社員の皆様の喜んだ笑顔に、お節介が役に立てたと想った。