父親を知る建物

今月12日にアップした「麦わらノストロー」について、生前の父親が地元の特産物を海外に輸出していた証を何とかして見つけ出したいという想いが日を追って強くなっていく。

 

故郷で過ごした日々を想いだすには、先日来の夏風邪の回復が芳しくなく手元にあった薬も無く成り、兎に角、珍しく朝から37℃を超える体温計の数値に、取り敢えず、病院に駆け込む。

 

予約外のために待ち時間もあり、何か一つでも、思い出せないかと思い巡らしているうちに、更に、病院では37.3℃にまで達していた。

 

診療の結果、新型コロナ、インフルエンザの心配はなく、気管支を痛めているためと、咳止めと痰きりの薬を追加されて、取り敢えず、週末は乗り越えられると想った。

 

その安心感も手伝い、嘗て東京に本店があり、商品の保管用に当時としては、評判になった倉庫が、東京の空襲も逃れ、今も健在であることを想いだした。

 

もしかしてその倉庫が父親と繋がりが見出さないだろうかと思いついた。

 

絡んだ糸が解れるように少しづつ、記憶装置が動き出した。

その一つに、倉庫の建築会社を思い出した私は、辺り次第に検索した処、ゆまに書房刊で、2011年6月24日発行の「写真構成 近代日本の建築3 清水組工事年鑑 昭和12年度版」を見付けるに至ったのである。

 

正直、信じられないようなハプニングに、もう、いても立っても居られなく、夕刻図書館にリクエスト依頼をした。

 

体調不調など、何処柄やら、間もなく満月を迎える大きくきれいなお月様をお供に、夕刻散歩に出かけた。

 

いつもの散歩コースの一つで、何となく頑丈で、しっかりした建物だと想っていたが、これまで通り過ぎていたが、暫く足を止めてじっくりと観察した。

どうも、見過ごせない予感めいたものを感じながら、図書館からの連絡を心待ちにしている。