2025年
1月
10日
金
2025年も早10日を迎えた。
6日から、平常生活が始まり、新しい手帳には毎日予定が記載されており、こんなに新年早々、忙しくするのも、久しぶりである。
昨年、渡されたラジオ体操スタンプ帳には、2028年には100周年を迎えるそうだが、朝のスタートには欠かせない存在になった。
こうしてラジオ体操から始まった2025年は、どんな年になるだろうとの
わくわく感が強い。
7日はパソコンに残されている2024年を極力整理することで、記憶から削除したい問題が多かっただけに、終日かかって整理、削除に努めた。
削除といっても、現在はUSBスティックに残すかどうかを仕分けする作業が、ある意味で、私は削除に該当するのである。
8日は2か月に1度の循環器の診療に、昨年来より、血圧の上昇が止まらず
25日に区民健診の検査数値は恐らく恐ろしい結果になると覚悟している。
翌9日は、今年初めての右手親指のリハビリにと、毎日粛々と手帳の予定を
熟してきた。
昨年、ネットで、区役所のマイナンバーカード更新の状況を確認したところ、担当窓口は混雑とあり、開庁まもなくであればと、出かけた。
やはり正解で、番号札を受け取り、座ろうとしたところ、呼び出された。
初回の設定用紙を持参していたので、目の前の画面に入力すれば、スイスイと難なく終了、時間にして、10分程度で終わった。
2030年まで有効という説明に、5年先を想うと複雑な気持ちになる。
マグロちゃんというニックネーム以外に「捨て魔」というニックネームを持っている私だが、貴重と思われる資料は自分でも不思議に思うのだが、
捨てることはなく、今回も救われたのである。
2025年の滑り出しはお陰様で順調に進み、既に薄暗くなったが、いつも通り夕刻の散歩に出かけた。
公園の裸木に、まもなく満月を迎えるふっくらした明るく冴え冴えとした
月が輝いていた。
2025年
1月
05日
日
毎年、東京豊洲市場で、「大間のマグロ」の初セリが恒例となっている。
新しい年を迎え、今年の食文化に対しても、標準値にもなるといっても過言ではない。
大学時代から、落ち着きがなく常にきょろきょろ、あちこちを体力もないのに動き回る私を、「マグロちゃん」というニックネームを頂戴して久しくなる。
相変わらず、まもなく八十路を迎える私であるが、昨年8月末の転倒骨折事件の際はおとなしくしていたのも束の間、あちこちを回遊してきた。
新しい年を迎え、望むは目指すは「マグロ」でも「大間の鮪」と勢い込んでいる私である。
オット、転ばないようにというフレーズも友人たちから頂戴している。
2025年
1月
03日
金
昨年末に、長年付き合ってくれたスマホがダウン寸前で、何とか年を越してとハラハラしが、今日から新しいスマホになる。
午前中にドコモショップまで出かけると、大通りでも肩がぶつかるほどの
ひと人に、驚いた。
ドコモショップも予約客で、一つだけの空席が私の予約席だった。
できるだけ、スムースに引っ越し作業を済ませたいので、これまでの書類を持っていったおかげで、凡そ、1時間で済ませることができた。
デジタルでなく、紙資料の説明書きに目を通した。
重要説明書に目を通すと「80歳以上のお客さまのお手続き時は、ご家族同伴でのご来店をお願いしております」とある。
私は3月には80歳になるわけで、滑り込みセーフであるが、さてさて、家族のない高齢者はどうすればよいのだろうかと、頭を過った。
これからはあらゆる世の中の仕組みに対して安心安全のセーフティネットが重要課題になる。
今月の「ぼっちの会」の話題ができた。
2025年
1月
01日
水
新しい年を迎え、高みを目指してレッツゴーといった気持ちでいる。
いつもの通りの日常生活を保持し、ラジオ体操を室内で伸びやかに始めると、体がどんどん活力を満たしてくれる感触を頼もしく思う。
昨日、スーパーでお煮しめを求めていたので、お清めに日本酒で独り乾杯
友人から、毎年頂く「とち餅」入りのお雑煮と形ばかりの元日を祝った。
昨年、転倒骨折した右親指も、リハビリの効果で手帳に書き込むことができ、書き留めておいた予定を始める。
先ずは、新しい年の空気を胸いっぱいと近くの公園で深呼吸する先に、澄み切ったスカイブルーの空に、銀翼の飛行機が見えた。
こいつは春から縁起が良いと、笑みがこぼれた。
例年通り、元日から紙資料の断捨離が常のため仕分けを始めた。
今年は、昨年シュレッターを購入していたので、静かな室内にシュレッターの音のみが聞こえる。
その音を終始聞きながら、気持ちが落ち着いてくる満足感に包まれた。
そんな他愛ない自然体の新しい一日を過ごした。
2024年
12月
31日
火
何とも今年ほど、いろいろな出来事に振り回された年は記憶にない。
本当に、一刻も早く、新しい年を迎えたいと思ったこともない。
夕刻、中国の留学生から日本の大学の入学試験を受け、新しい年に合否が
わかるという青年と話しているうちに、合格祈願を思い立ち、神社参拝にに誘う。
日中は穏やかだったが、夕刻4時過ぎから、冷たい北風に、首を竦めながら
近くの神社を三ヶ所回ることにした。
まだ、神社には参拝者もまばらで、青年は物珍しそうに見まわしていた。
賽銭箱の前で、日本語学校の教師から、お賽銭の風習の教育を受けているようで、お財布を出して一礼してお賽銭箱に入れた。
次も同じように青年は日本の風習に従った。
いよいよ、三番目がわが住まいの守り神の神社で、青年も知っていたが、
境内に入ったことはないという。
境内で、おみくじを見つけた彼は、珍しそうに私に聞いてきた。
私は、凶が出た場合を案じていたが、なんと思い切って彼はおみくじに
トライしたのである。
おみくじを丁寧に開き、私に見せた。
ラッキー! 大吉だったのである。
私はとてつもない声で大喜びした様子に初めて、大吉について理解したようだ。
帰る途中、何度も何度も、おみくじを開いて喜んでいる青年の表情からは、参拝前のどこか不安を抱えていた暗さはすっかり消えていた。
何度も何度も、おみくじを開いて、ニコニコしている。
そして、もう大丈夫と私に気持ちを伝えた。
一人の青年によって、私の重苦しかったこの一年を、笑顔で締めくくることができたのである。
2024年
12月
28日
土
2018年以来、相棒としてお気に入りであったスマホがダウン寸前状態になってしまった。
何とか、年内は耐えてほしいと、恐る恐る使っている。
タブレットに切り替えても良いのだが、通話も必要であり、スマホをいよいよ買い替える時がきた。
私が求めている機種は、在庫が少なく、予約をしておかないと買いそびれる可能性がある。
手帳に続き、スマホも3日には新しい相棒としてスタートの予定である。
なんだか、2024年は「ツキ」に見放された年というか、消しゴムで消し去りたい年に該当するようだ。
故に来る2025年がわくわく、楽しみなのである。
2024年
12月
26日
木
28日で、隣接する図書館も年内の終了日に当たり、親指もリハビリの甲斐があって、筆記作業が可能になった。
個人的にも、いろいろとハプニング続きで、一刻も早く2024年を終わらせたいという逸る心がある。
雑用は多々あるが、思い切って学習室で手帳の新旧の引継ぎを決めた。
3時間という時間をかけて、仕分け整理をした。
8月の転倒骨折から、手帳は白い余白が目立つ。
今、4カ月の時を経て、まもなく2025年が始まる。
書き込みながら、来る2025年が楽しみで、待ち遠しく想う。
もういくつ寝るとお正月の境地である。
元来、振り返ることが苦手な私は、2024年の手帳を深夜ラジオ便を聞きながら、シュレッターをかける音を聞きながら、一足早く別れを告げることが出来た。
2024年
12月
25日
水
昨日24日は一年で一番晴れる日、晴れの特異日と知った。
それを思わせるように、今朝25日まだ、夜明け前にも関わらず、スリムな月が輝いて見えた。
ラジオ体操が朝のルーティンになって久しいが、もうすっかり当たり前の
日常になっている。
途中から、明らかにインバウンドと思われる5名の男女が、ラジオ体操に
加わった。
一所懸命に、我々を見ながら、ニコニコしながら楽しそうにラジオ体操を始めた。
私たちはそのたどたどしさが、なんとも言えず、微笑ましく、心が温かくなった。
「サンキュウ」との一言と、ペコリを頭を下げて、立ち去った。
今日はクリスマス、素晴らしいプレゼントになった。
2024年
12月
20日
金
冬晴れの気持ち良い空に誘われて、散歩に出かけると、北風が強く、肩を竦めて、商店街を通り抜けようとした先に、真っ白いポインセチアが目に入った。
これまでに、真紅、ピンクは見かけたが、真っ白は初めてだった。
思わず、駆け寄り、スマホにゲットした。
この季節に、白というと、冷たさを感じると思ったが、立ち止まってじっと見つめていると、心が和んでくる。
確かに、先日の予期せぬ出来事から、心身ともに回復はしていない。
今、私は白いポインセチアに出合い心穏やかなひと時を過ごした。
因みに、白いポインセチアの花言葉の一つに「あなたの祝福を祈る」と、
あった。
2024年
12月
17日
火
今週土曜日に、ビブリオバトルに昨年に続きトライすることもあり、池波正太郎の「剣客商売」の初回に当たる「女武芸者」を、ぼっちの会で朗読をした。
彼是5年ほどの空白があり、歯切れが悪く、納得いかないままで終わった。
嘗て、病院ボランティアをしていた時、患者様から予告なく渡された時代小説だったり、月刊雑誌であったりしたが、意外に熟していた。
既にセピア色になった愛読書で、文庫本で時代小説には躓くことが多く、
緊張した思い出が今は懐かしい。
その点池波作品は読みやすいが、嘗ての様はなく、時の流れか、将又、加齢のせいか、悔しさを禁じ得ない。
それでも、朗読を希望する方からの依頼もあり、新しい年を迎えたら、そろそろ、始めようと思っている。
2024年
12月
15日
日
今夜は今年2024年最後の満月だ。
この数日間、私はこれまでの日常を取り戻すことができず、朝のラジオ体操が勇逸の救いで、自宅に帰ると、精神的に不安定な時が続いている。
こんなに意志薄弱化と情けなく、叱咤するが、どうも体が万全ではない。
嘗て、「星に願いを」があるように「月に願いを」してもよいのでは記したが、正に今の私は今日の満月を待ち焦がれていた。
スマホの写真に収めた昨年の時刻を参考に、近くの公園で待ち続けた。
然し、公園には何度も足を運んだが、お月様は姿を現さず、見上げた夜空に、飛行機が数機上昇しているのが見えた。
夕刻の夜空のルーティンとして、見待ち焦がれるお月様に代わって私の心を潤してくれた。
もう、今日はと、諦めがちに外に出た私の遠く先に、スカイツリーとコールドムーンの素晴らしいコラボシーンに、寒さを忘れ、見続けていた。
日没が早いこの季節、すっかり夜の帳に包まれた17時44分だった。
2024年
12月
12日
木
10日から11日の早朝に起こった予期せぬことに、そのまま眠れぬ夜を過ごした私は、何とか朝食は喉を通ったのだが、昼食を済ませるや、体調の変化が現れた。
胃の痛みで、のたうち回るといった状態に、胃痙攣ではと判断した。
子ども心に亡くなった母親が、七転八倒して苦しんでいた状態が記憶に蘇った。
何とか、パソコンで、今の状態を検索すると、ストレスから、冷えからと思い当たる項目に、とにかく、痛みから解放されたかった。
かかりつけの病院に行きたくても、痛みと吐き気に動きが取れない。
これまで長い人生で、吐き気は数回の記憶しかなく、神経質になる。
こんな時、独りぼっちという我が身はさらに不安を覚えるが、近くに長年の友人に遠慮がちに電話をする。
その友人は、30分ほどで駆けつけてきたころはい痛みはあるが、吐き気は収まり、友人に付き添われ病院に。
昨日の経緯をドクターに報告するや、ドクターも驚き、理解を示すとともに、採血、レントゲン等の検査をした結果は、昨日からの予期せぬことへの精神的な限界との報告に納得した。
既に夕刻5時を過ぎた夜空に、満月に近い月が煌々と輝いていた。
2024年
12月
11日
水
いつもの通り、ラジオ体操に出かける私の前に、所轄警察の刑事に呼び止められた。
現在当マンションの管理組合の役員の一人としては只ならぬ状況に、ラジオ体操を今日スルーしても警察に協力するのがミッションだと受け留めた私は、できる限りの情報を提供した。
詳細は避けるが、繰り広げられるテレビドラマそのものが、現実として起こった訳で、如何に冷静に事実を伝え協力するかということの必要性、重要性を受け止め、向き合うことができた。
わが地域も空に向かって聳え立つ集合住宅地帯である。
隣は何をする人か皆目わからない中で、捜査する警察の苦労が身に染みるほどよくわかる。
個人情報でひとくくりされるが、、何か起こった時に、管理組合の役員として歯がゆさを感じた。
生憎、未だに不動産業界では水曜日は「水物」とかで、未だに通常事として、今回はさらに常駐の管理員も休務という、負のスパイラルが重なったのである。
問題の発生した時刻に、私はラジオ深夜便を聞きながら、パソコンに向かっていた時刻だけに、警察からの報告に思い当たった。
今、私は心の動揺を抑えることができないまま、キーボードを打ち込んでいる。
2024年
12月
08日
日
当地区ではいわゆる燃えるごみの回収日は、月曜日と木曜日で、振替日に当たる月曜日は管理員泣かせである。
ラジオ体操に出かける際にゴミ庫を利用するのが常であるが、今日は珍しく夕刻ゴミ庫に廃棄することした。
ゴミ庫を開けた先に段ボールが積み重なってある中に、岡山県産愛宕梨の
表記が目に入った。
訳もなく、私は懐かしさと、人の顔の大きさほどあるあたご梨の特徴に、遥か東京の地で、あたご梨の存在を知る人は少数の中で、何ともいえない、懐かしさに包まれた。
と同時に私にも懐かしい愛宕梨の味を蘇らせてくれた。
わが故郷の良さを味わっていただき、ありがとうございますと謝意を表したい想いでいっぱいになった。
ゴミ庫から思わぬ故郷の出会いに巡り合うとは、なんと申し上げたらよいのでしょうか。
2024年
12月
06日
金
隣接する図書館に私は足蹴く通っては、図書のリクエストをしている。
時には、期待外れの図書もあり、即返却をすることもある。
今回もその原因によるもので、ダメと思ったら、目に留まるところにあっても、目障りで返却する。
ところが、ほとんど、スタッフとは顔なじみであるが、今回も然り。
昨年ビブリオバトルのバトラーとして参加したが、悔しくもチャンプにならなかった。
チャンプになった青年は、正にビブリオバトルを完璧にクリアーしており私も心から、素晴らしいと感服した経緯がある。
今回は、いつもお世話になっているからの依頼で、昨年の恥を忍んで、バトラーになる旨を応えることにした。
友人に話すと、年齢から言ってまだ、世間から当てにされていることは、有難いと想え、わが友としても誇りだと返って来た。
人生100年時代といいながら、なかなか応える人材は限られており、応えるためには、そっと、人知れず努力を絶え間なく励んでいないと、年寄りの冷や水ともとれる。
さてさて悩ましいことを引き受けたけれども、まあ全力投球しましょう。
2024年
12月
03日
火
先月インフルエンザの予防接種を済ませたが、なにやら世間はトリプルデミックの危険性が報道されている。
どうも、亡き父親が私を「病気の問屋」といった言葉がしきりに頭を過る今日この頃である。
今回8月の転倒骨折の手術中に、私は79歳に至るまで、手術の回数を数えてみると、なんと、目下手術中の親指を含めて、5回の手術をしている。
更に、入院は手術時の入院以外に7回に及ぶのである。
普段は人付き合いが得意ではないが、感染症には非常にお付き合いが良いといった困った体質を持ち合わせている。
今日も、新型コロナウイルスの予防接種に足を運んでいる。
年内の病気納めにしたいものだ。
2024年
12月
01日
日
わが町内では、今日は餅つき大会で、ホカホカの陽だまりの中で、家族が付きたての餅をほおばっている。
穏やかな風景に、世界に目を向けると痛ましい話題に心が痛む。
でき得ればこの穏やかな日々が続くことを願っているのは私だけではないはずだ。
今朝の日本経済新聞の日曜文化面に沢木耕太郎氏が「少年は席を立った」というエッセイによれば、自分の席でスマホに夢中になっているところに二人連れのインバウンドの一人が、少年の隣の空席に座った。
その時少年は席をもう一人に譲ったという光景に、沢木氏は少年の行為に声をかけたところ、恥ずかしげではあるが、喜んでいたという。
沢木氏のように、うまく表現できないがこのような光景を記していた。
私にも、これに似通った経験を持っている。
地域を巡回するバスに、数人のインバウンドの男女の若者が乗っていた。
運転手に目的地を尋ねているようだが、なかなか通じなく、若者たちに焦りが見えた時、運転席の後ろにいた少年は、後ろにある循環バスの運行時刻表をもって、その集団の一人の女性の肩を叩き、渡したのである。
その女性は、少年にありがとうと、心から感謝しているのがわかった。
私は、目の前の少年に、拍手を送った。
すると、少年は照れくさそうにそっぽを向いてしまったが、私はジーンと胸が熱くなったのである。
2024年
11月
30日
土
新型インフルエンザが5類に移行して、社会福祉協議会の切手ボランティア活動が再開した。
ぼっちの会として、社会福祉協議会には何かとお力添えを頂いているので
5名の運営スタッフに協力してもらっている。
スタッフから金種別に仕分けした切手、5名分を取りまとめ、整理する。
例の骨折依頼、気力が失せていたが、このままでは廃用症候群にでもなりかけず、思い切って、自分のノルマをクリアーする作業に取り掛かった。
確かに細かく面倒であるが、切手から歴史が読み取れ懐かしさを覚え、
更に金種別に仕分けする際に、お盆に広げ、トランプの神経衰弱のゲームをしているようである。
記憶力が試されるわけで、脳の活性化にもなるという発見をした。
それに気づいた私は、切手ボランティア活動が自分にとって、良き効果に繋がると気づいたのである。
2024年
11月
28日
木
四ツ谷駅前に長年の時を経て、再開発ビルが完成して、記憶は定かではないが、3年になるであろうか。
一昨日は12月の寒さと報じていた。
これまで、私は11月22日、「良い夫婦の日」に決まって、四谷に用ができるという巡りあわせがある。
その再開発ビルに日本蕎麦のお店を見つけ、牡蠣そばを頂くのを楽しみにしており、今年も立ち寄った処、例年より遅れて始めたばかりと聞く。
私のふるさと「天文のまちあさくち」には、高梁川の恵みで育った牡蠣祭りが毎年2月に開催されるが、私は新橋のアンテナショップでしか、味わったことがない。
話をリセットして、四谷のそば店の牡蠣そばは広島産の大ぶりでぷりぷりの牡蠣一筋の暖かい蕎麦である。
昨年の牡蠣そばの味が忘れられず、今年もと、立ち寄った。
今年は牡蠣オンリーでなく、牡蠣南蛮そばで、ちょっと、昨年澄み切った牡蠣オンリーの味が記憶に残っていただけに、いささか残念であった。
もちろん、私は日本蕎麦大好き人間で、毎日頂いても飽きないという偏った思考のある人間である。
恐らくこれからも食卓に並ぶであろう日本蕎麦でははあるが、とりあえず牡蠣そばを私は一足早いが、「年越しぞば」として、締めくくっている。
2024年
11月
25日
月
ラジオ体操で見上げた先に、淡く澄み切った空に、白くシャープな月を横切るように銀色に輝く飛行機が目に入った。
日本人にとって、週の初めは月曜日からが一般的である。
これは私の拘りであるが、お星さま、お月様、飛行機の3点セットはラッキーを意味している。
よって、今朝は一週間のスタートに当たり、お月様、飛行機とさらにまもなく高く澄み切った青空と続くからである。
大切な友人の一人のご主人が、入院中と聞いた私は、心が騒いでいた先に
ラッキーな週の初めに当たり、「星に願いを」もあるが、「月に願い」もありと、ラジオ体操をしながら、お願いをした。
友人の笑顔が一刻も早く取り戻してほしかったから。
2024年
11月
23日
土
数カ月に一度、私より大先輩の88歳の素敵な女性と、近くのコーヒーショップで、8時から30分ほど、モーニングサービスにご一緒する。
今日は勤労感謝の日とはいえ、満席状態である。
既にコーヒーカップのコーヒーが半分ほどになっており、恐らく、約束の時間より、早くにいらしていたことがわかる。
私を見つけると、立ち上がって笑顔満面にして、喜んでくださるのが嬉しく、ちょっと8時の約束は厳しいけれど、つい、笑顔に負けてしまう。
毎回、話題は繰り返しだが、いつも初めて聞いたように、話に耳を傾けている。
私の性格をよく知る友人たちは、よくぞ、豹変するわねと、のたまうが、
それを、私は賞賛と受け止めている。
確かに、病院ボランティアをして以来、自分でも気づくほど、性格に変化が顕著であり、無駄ではなく、成長の糧になった。
親指の回復後、もう一度、病院ボランティアとして、患者様のお話し相手をしたいと願っている。
2024年
11月
21日
木
リセットという気持ちをこれまでに自分に言い聞かせてきただろうか。
その証に一番健康上案じている高血圧に改善が見られないのである。
自炊を心掛けてはいるが、たった親指のリハビリに心労が激しく、キッチンに立つ気力が失われている。
依って主治医から重ね重ね注意を頂いているコンビニに食を求める。
わかっちゃいるけど、昼食の自炊の気力がわかないのである。
おかげ様で、夜食は欲することなく、これまた一刻ベッドインしたいという欲望にかられる。
相変わらず、ラジオ深夜便をBJMに浅い眠りが、翌朝まで続くといった日常生活を繰り返している。
不思議にラジオ体操後のさわやかさに救いがあるようで、昔から、午前中に強いリズムなので、午前中はしっかり、頭もクリアーである。
友人が午前中の強い女と揶揄したことがあるが、正に然りである。
リセットしたいと想っているが、掛け声ばかりで思うように心身が同調しないでいる。
2024年
11月
19日
火
明け方に寒気を覚え、いよいよ電気毛布の出番と、セットする。
夕刻、久しぶりに夕刻5時15分に出会うダックスフンドのお転婆ちゃんに逢えた。
全身で喜んでくれるその一つに、私の手をぺろぺろと舐めてくれる。
いつも、私の手はそんなに美味しいのと問いかけるほどである。
親指のこともあり、必ず公園にいるはずのお転婆ちゃんに会いたい気持ちを我慢してきた。
だが、今日は偶然にも、その時刻と重なり、見つけられたのである。
いい子だね、寒くなったから、でも、毛皮のコートを着てるから大丈夫だねと言ったら、飼い主から、ウール100%だものねと。
我が家では、3匹のワンちゃんに毛皮という表現をしてきたが、さてさて
ウールかと、愛用のセピア色の辞書を開く。
毛皮は取り上げていないが、ウールには「羊毛、毛糸、毛織物」とある。
拘ることでもないが、毛皮のコートの方がリッチではないだろうか。
2024年
11月
16日
土
親指のリハビリを始めて1カ月を過ぎた。
不思議に親指が本来の親指としての感を取り戻すかのような動きをして、
思わず、悲鳴を上げるほどの痛みに、そうか、まだ無理だったと気づく。
半年ほど前に購入した掃除機は、いつになったら操作できるか、体力的にもしんどく、ハンディクリーナーを購入、午後に届く予定である。
午前中は、インフルエンザの予防接種にでかけ、帰りにこれも、長く愛用していたパーカーのボールペンが、どうも現在の親指の状態から使いにくく、新しく購入することにした。
たまたま、景品のボールペンが使いやすく、替え芯が切れたがメーカー品でもないので、期待しないで、気楽にこの替え芯ありますかと、カウンター越しに女店員さんに尋ねた。
その替え芯が見つかるまで、かなりの時間を要して探してくれた結果、なんと見つけてくれたのである。
望んでいる要求に必死に真剣に取り組んだ対応に、つい、あなたの親切にと、デザインが気に入ったボールペンを購入した。
そういえば家電量販店で、午後届くハンディクリーナーの購入の際も、担当外にも関わらず、実に細やかに商品についても説明をしてくれた。
素晴らしい神対応に、心が安らいだ。
2024年
11月
12日
火
スーパーの店頭は、クリスマスと正月飾りが同居している季節になった。
野菜コーナーで、慈姑が並んでいるのを見つけた。
我が家では慈姑に百合の根、八ツ頭は必ず、正月の食膳には欠かせない。
我が家の三点セットのうち、慈姑は故郷岡山の隣の福山市が日本一の産地だと報じていた。
一寸えぐみがあるも、何とも言えない感触が好きで、両親から、子どものくせに、大人が好み、酒のお供に良いものが好きなんて、母親は眉をひそめていた。
また、茶わん蒸しに忍ばせているゆり根と銀杏にも目がなく、こちらも同様に母を困らせていたことを今では懐かしく思い出す。
物価高の現在、唯横目で眺めながら、素通りする私だが、今となっては手の届かない大人の味が、貴重な思いでなっている。
2024年
11月
09日
土
右手の親指の骨折から、現在はリハビリ中であるが、如何せんボーイペンにしろシャープペンシルにしろ、まともな字には程遠い。
ついついスマホの写真を利用して記録として残しておくことが多く、ストレージ管理を気にするレベルに至っている、。
もともと、収集癖はなく、できれば削除した気持ちが強いが、削除するにしても納得のいく形に整理したいという想いが強い。
これを人は拘りというだろうと、百も承知で深みにはまりアップアップしている。
未練があるかといえば、写真で消化不良を起こしかねないスマホに取り込んだ中でも、本当にお気に入りは50枚あるかないかである。
加齢の成果、その辺の判断能力が、衰えていることの方が案じられる。
わが頭のスマホのストレージ管理が最優先かもしてない。
2024年
11月
07日
木
今日は暦の上では立冬である。
然し、最近の異常気象で、もしかしたら関東地方には木枯らし一号が吹くかもの天気予報を聞き流ししていた。
もう、あまりにも季節感のない日々にあきらめムードが続いているせいでもあり、本気度が薄れている。
ところが、ところである。
木枯らしのイメージにはいささか首をかしげるも、確かに北寄りの風が吹いているのは分かる。
今日はじつに暦に几帳面に忠実さを示しており、わけもなくホットする。
春夏秋冬の折り目がわからないままに、過ごしているが、今後ますますエスカレートしていくであろう俯瞰、寂寥感が走るのは私だけだろうか。
2024年
11月
06日
水
長年のお付き合いの薬局で、盛んにジェネリック薬品への切り替えを勧めてくる。
確かに、お国のお財布も厳しくなっているのは理解できる。
主治医に確認して、とりあえず次回の診察までに問題がなければといった様子見というか、経過観察という形でひと段落した。
ところが、友人によればジェネリック薬品に対して、私は、ジェリックは使わないと断言された。
その時の友人の表情が、エリート意識で、私がいかに高齢社会に対しての
経済的ひっ迫に配慮していただけに、複雑な気持ちになった。
人生100年時代といわれているが、私は自然体でそれぞれに応じた寿命というものに甘んじたいと思っている。
極論かもしれないが、これまでの私の人生の成績表だと思っている。
ややこしいことにはエネルギーを消耗することは避けたい。
故に、私は時の流れ、素直におのれの身を受け止めたいと想ってる。
2024年
11月
03日
日
何と今日は日本晴れといっても過言ではないブルー・ブルーの日だ。
決定づけたのはワールドシリーズ、日本シリーズといった野球に疎い私が熱くなった。
こよなく愛するわが故郷の空に、62年ぶりの帰郷、見上げた空は「あさくちブルー」だった。
それ以来私は「ブルー」には関心を持ってきた。
まだ、平熱まで戻らないが、気力は回復している。
ベッドという制約の中で、高齢になると、過去のことを思い出すライフレビューが始まるという。
確かに私は相変わらずラジオ深夜便を聞きながら、気が付くとライフレビューをしている。
1979年、私は銀座で美術の商いをスタートすると同時に、龍ヶ崎カントリークラブをホームコースとしてゴルフライフを真喫した。
11月3日が龍ヶ崎カントリーの創立記念日で、毎年創立記念杯があるが、私は、10月10日の体育の日杯は数回優勝しているが、11月になると、不思議に体調を崩すのである。
長年のバイオリズムが、齢80歳目前にして今も脈々と生存しているとは、
生まれ持った体質を改善するのは、いやはや大変な大事業だ。
夕刻、思い切って、近くの公園に出かけると、子どもたちの元気な声と共に楽しんでいる光景に、明るい未来を確信した。
残念ながら、ワンちゃんには会えなかったが、少しづつだが体調の回復を感じ取ることができた。
今夜はいよいよワールドシリーズに続き、日本シリーズも「ブルー」に染まるだろうか、このハラハラ感が体調を崩していてもヒリヒリかんが堪らないのである。
2024年
11月
02日
土
昨日からラジオ体操を始めたが、大型台風の余波で朝から雨が降り、再開したが今朝は自宅で…。
ラジオ体操をすると手術した親指に負荷がかかり、痛みが走るが親指を除いては、ラジオ体操をしたいと欲している。
然し痛みには勝てず、無理は禁物、焦らず、休養と言い聞かせ、起床時間を一時間延ばしてベッドに横たわってきた。
然し今月からはと意気込んでいた矢先、雨とは。
長年の起床時間には必ず目が覚めるので、起きて少しだけカーテンを開いて外の様子を見る。
今朝、厚手のカーテンの下のレースのカーテンがなんとなく湿気っぽく、
8月に専門業者に依頼してピカピカの窓ガラスが結露でびっしょり。
かなりの結露にタオルでふきながら、外気を入れると収まるので、思い切り窓を開け、換気扇を回した。
その時、くしゃみと同時に寒気を覚え、くしゃみが数回続いた。
大変、まだ夏用の薄手のパジャマを着ていたのだ。
しまった、うっかりしていたと後悔するもすでに遅しで、悪寒が走った。
体温計には、私の油断を証明する数値が表出し、血圧値も正直だ。
もう、薬のお世話になるしかなく、終日ベッドでおとなしくしているしかないと、まさに自業自得、自滅だ。
昨日は「ワンワンの日」、犬派の私は、かのデコピンちゃんの写真をスマホに取り込んでおり、どれを取り出しても、笑みが浮かび、ともすれば落ち込むところ救われた。
そういえば、公園で私を覚えて体ごと喜んでくれるワンちゃんにもご無沙汰している。
頭でっかちになるより、思い煩うより行動にとの小林弘幸氏のアドバイスを思い出す。
夕刻平熱に戻ったものの、悪寒は収まらず、今年最後の連休は残念だが、休養と決めた。
2024年
11月
01日
金
今朝から、ラジオ体操を再開した。
凡そ、2が月以上お休みをしていたので、忘れていないかと案じながら家を出た。
「よくなって良かったね」と、懐かしいお仲間からの気持ちに、私は胸が熱くなった。
案じていたが間違うこともなく、忘れることもなく、取り戻せた。
途中、見上げた薄く白い雲の間を縫って、飛行機が目的地に向かって飛行しているのがはっきりと見えた。
朝のルーティンに、飛行機までエールを送ってくれたように思えて、殊の外嬉しく、心身ともに大切にしていこうと改めて、心に誓った。
ラジオ体操を機に、少しづつ日常生活を取り戻そうと、郵便局にスーパーにと足を運んだ。
郵便局では、今日から年賀状の発売日で「今年もよろしく」と、声をかけられた。
既に数人の友人が年賀状終いをすると聞いている。
私も、悩ましく思っているが、まだ気持ちは定まらないでいる。
スーパーでも、自炊生活の具材を購入後、スーパーの入り口付近から、アルコールらしきニオイがマスク越しにも鼻を突いた。
その先にガラス瓶が跡形もなく粉々になり、キラキラと危険な輝きをしているのが見えた。
破損しているガラス瓶を二人の従業員が手早く片づけを始めていたその時である。
一人がガラス瓶の破片で指を傷つけたらしい声が聞こえた。
が、傷ついた指を庇いながら作業を続けている。
咄嗟に、バッグからバンドエイドを渡したのである。
数年前にマイナンバーカード発行手続き中に区役所で、気が付くと中指からタラタラと出血した。
その際、区役所から即座にバンドエイドで、処置してもらった時の有難かったこと、助かったことが記憶に残っていたからである。
人生におけるあらゆる体験、経験は無駄ではなく、いつかは役立っために
必要であると再認識、わが身をリセットする一日となった。
2024年
10月
31日
木
美術の商いをしていたころ、神無月といわれる10月が決算月だった。
必ず、筆記具のボールペンのインキがなくなる、会計伝票が、小切手の用紙切れ、珈琲豆がなくなるといった事態に陥る。
後にワープロも同じくインクリボン切れになるといった具合である。
偶然といえばそれまでだが、商いを続けていた25年近く毎年、決まって同じことが起こった。
ミステリアスとも思ったり、「吉」なのか「凶」なのかと、決算月になると慮ったりもした。
が、20年近く経った今年2024年の神無月の10月に同じようなことが起こったのである。
愛用しているパーカーのボールペンのインク切れに始まり、銀行の通帳の記載項目もお終い、ストックしていた数種の具材や調味料がなくなった。
齢を重ねてきた現在、「吉なのか凶なのか」と、ミステリアスな偶然に、想いを馳せ、むしろ楽しんでいる。
2024年
10月
27日
日
今日から来月9日まで2024年の読書週間が始まる。
また、今日は文字活字文化の日だそうだ。
毎年、読書週間の標語を楽しみにしている。
今日のブログに取り上げた「この一行に逢いに来た」で、「一行」を探す旅にでも出かけたくなる。
怪我をして以来、疲労を感じることが多く、ついベッドに横たわってしまうが、睡魔には襲われることなく、むしろ頭は冴え冴えとする。
そのような次第で、図書館にリクエストしていた図書は途切れなく、早く読みたくてベッドにともいえる。
どちらか言えばこれまでとは異なるフィクション系を読んでいた。
今回の骨折により、メンタル面が薄弱になっていることに気付いた。
もともと、自律神経のバランスを来すタイプで、順天堂大学医学部教授の小林弘幸氏の図書にヘルプを求めるのが常である。
どうも、この数日間、張りつめていた糸が切れた状態が続き、このままではまずいと思った。
つまり、救急隊にお礼、リハビリという骨折もセカンドステージに入ったこともあり、達成感なのかバーンアウトなのか或いは空の巣症候群なのか複雑極まりない。
「休養」というプレゼントを頂きながら、十分に生かせないままでいる。
そろそろ、リセットしなければと思っていたところ、図書館からリクエストしていた小林弘幸氏の三部作の連絡があった。
気持ちが逸り、エレベーターを利用するほどに慎重だったはずが、階段を使用していた。
私が称する三部作とは2020年のコロナ禍、その後の生活スタイルの変化、更に5類に移行後も続くコロナ禍による体調の変化を取り上げている。
「整える習慣」「リセットの習慣」「はじめる習慣」である。
私は75歳という後期高齢社会に突入する時期と重なり、幾つも思い当たる箇所がある。
読書週間の期間中、私は「三部作」の旅に浸りたいと思っているのだ。
まさに今年の読書週間の標語「この一行に逢いにきた」といえる。
2024年
10月
23日
水
リハビリの帰路、長年利用していた銀行口座の利用がなくなり、解約手続きをすると決め、銀行に立ち寄った。
窓口で趣旨を伝えると、対面での手続きは予約制との説明があり、ベンチを見ると、私と同等の年齢の人が目につく。
「お客様、スマホをお持ちですか」と、「ええ、まあ、物騒な世の中なので記録を残しておきたくないのですが」「わかりました」
奥から担当者が出てきて私の不安を一掃するかのように、実に優しく丁寧な応対に、スマホでトライすることにした。
システムに乗れば手っ取り早いが、何しろ利き手の右手がままならず、入力ミスをするも、おだやかに付き合ってくれる。
解約の手続きなど、ウェルカムではないのに、さすがと解約するのを止めようかなと思うほどの、素晴らしい女性の行員であった。
それで、思い出したのは、先月9月のことである。
先日の転倒で上の前歯が一本ぐらついているし、歯科医より指定のオーラルケアを続けている商品が残り少なくなった。
スーパーに買いに行くと、令和の米騒動と同じく売り場から商品がなくなっている。
売り場には入荷の予定が表示されていたが、少なからず、不安を抱えたまま自宅で、製造販売元のお客様相談窓口に電話をした。
さすが大企業、恐らくAIの応答と思われる音声で、企業姿勢を延々と流され、パソコンでの問い合わせを勧めてくる。
私も手が動けば、パソコンを利用したいところだが、それが叶わない状況のために電話を利用したのである。
延々と続き、やっと終わったと思った途端、実に事務的な返事がかえってきた。
確か「このお電話はお繋ぎできません…」だったか「このお電話にはお答えできません…」と、そのあとの内容にも愕然とした思いが強く、久しぶりに私は「瞬間湯沸かし」状態になったからである。
先の製造販売会社は、信頼しているだけに怒りを覚えたのだった。
企業の「陽と陰」というか、「温と冷」を味わった。
2024年
10月
22日
火
今日、22日で点字ブロックに躓いて転倒、骨折して2か月になる。
医療者の尽力により、リハビリまでたどり着いたが、忘れてはいけないもう一つの存在、救急隊である。
今日はお天気も良く、当日搬送してくださった救急隊にお礼に出かける。
足元の点字ブロックにはナーバスになるも、感謝の想いを抱え、目的地に歩みを進めた。
当日の担当者がいてほしいとの想いで、受付で訪問の目的を伝えた。
運よく当日の担当者に会うことができた私は、心から感謝の気持ちを伝えると、私の回復を喜んでいる表情が受け取れた。
「今、救急車が出払っていますので、気を付けて」と担当者の一人が玄関まで見届けてくれた。
恐らく、私のような行動をとる人は少数だと思う。
嘗て、2015年に発刊された拙著「医療ボランティアをめざす人に今伝えたいこと」の執筆中に、パジャマの裾を踏んで、自宅の壁に転倒した。
その際にも救急隊にお世話になり、搬送された救急センターで髄膜種が発見された経緯があり、お礼に行った。
ちょうど、署長さんが対応してくださり、感謝の気持ちを、いま待機している署員に伝えてほしいという。
拙い私の話に見る見るうちに固い表情から、生き生きとした表情に変わってきたことを私は忘れることができなかった。
感謝をされて不愉快な想いをする人はいないと思う。
それは病院ボランティアをしている時、私自身は身をもって感じていた。
見上げた空は私の想いと同じようには素晴らしい「ブルースカイ」が広がっていた。
2024年
10月
20日
日
今週の火曜日からリハビリが始まったが、意外や意外、親指が硬直状態で
前進のために不可欠といえど、痛みに悲鳴をぐっと抑えて耐える。
終わるとぐったりと暫くは虚脱状態に陥る。
果物、葉物野菜等など「皮をむく、切る、カットする」作業を始め、ボールペンなどを握る作業がおぼつかない。
しかし、ここでたじろいてはと、期日前投票会場に出かける。
無効票になってはと、投票用紙を前に緊張が走る。
いやはや、親指がいかに多くの日常生活に不可欠であるかを思い知らされる日々が続いている。
これは、ちょっと恥ずかしい仕草だが、「歯」を使ってカットする作業をしている。
然し、かつて、繕う際に「糸切り歯」で、作業を終えた糸を切っていた。
まさに、その行動を思いつくことなく、自然に「歯」でカットしている。
まあ、私にしてはコロナ禍で新しい生活スタイルを歩み始め、地に着き始めた矢先、私はさらに「新しい生活リズム」と向き合っている。
2024年
10月
17日
木
7週間の骨折体験に、ベランダから見える夕刻からの素晴らしいショウタイムを楽しめることに感謝している。
まだリハビリが始まったばかりであるが、取り敢えずセカンドステージに進んだ
素人ながら、7月末からこれまでにない体調の変化に右往左往していた矢先に、思いがけない転倒というハプニング。
強がりでも負け惜しみでもなく、痛い思いはしたが、この痛みが自分を見つめ直す機会に繋がったのである。
今回のことがなければ、もっと厳しい状況が待っていたかもしれないからである。
ベランダから日没が早くなった空をベランダから見上げるのが、夕刻のルーティンになっている。
4年前の2020年9月に、私は3センチ大に育った髄膜種の手術を今回の救急でお世話になったかかりつけの病院で行った。
12時間の手術を終えて個室に戻ってきた窓から、夕刻になると羽田空港から離着陸する飛行機のライトがキラキラと輝き、後にお月様が顔を出すといった素晴らしい住環境で入院生活も苦痛を感じなかった。
いま、4年の時を過ぎて、じぶんの足で自宅から同じ風景を見つめている。
ましてや15日は十三夜、今夜はスーパームーン。
79歳最後の年に、転倒骨折という体験を通して、これまでのような我武者羅な人生から、自分を労わるというか、与えられた命を大切にするということを学んだ。
昨日、朝夕の散歩も再開した公園には大好きな金木犀の花が小さな花を零れんばかりに咲いていた。
玄関前の植え込みの山茶花が白い花を一輪、楚々と咲いていた。
自然の移ろいを静かに受け入れる素直さに、私もこうありたいと想う。
2024年
10月
15日
火
まだまだ熱く暑い日が続く8月22日、午後3時20分ごろ、自宅まで残すところワンブロックというところで、道路工事を終えて、真新しい点字ブロックに躓いた。
一瞬の出来事で、身を立て直すことはできず、まったく体重のすべてを垂直に点字ブロックに倒れこんだというものではなく、打ち付けた。
「アッ、いけない、やっちゃったア」と、すぐ立ち上がった時、既に反対側の道路から二人の若い女性が何か叫びながら、道路を横切り駆け寄ってきた。
「凄い出血です。救急車を直ぐ呼びましょう」と、もう一人の女性はまたティッシュペーを渡しながら、「水を買ってきます」と反対側の自販機に
走っていた。
二人の女性の絶妙な手当を目で追いかけていた。
「エッ、救急車ですか」「凄い出血ですよ」といわれたが、まだ私には今起こっている状況の判断ができなかった。
私はバックからハンカチを取り出し、こっぴどく打ち付けた前歯付近を抑えてたハンカチがみるみる血に染まる出血のスピードに、初めて事の重大さを認識した。
二人の親切な女性に「救急車を呼んでください」と。
あと、100歩も歩けば我が家だが、その手前の区民館のロビーの椅子によっかり、救急車を待った。
時間的に10分ほどで、救急車が到着、二人の女性のお名前を伺うも、それより早く病院にという言葉を残して去っていった。
救急車にかかりつけの病院を指定したところ、即座に受け入れてもらい、
10分ほどで、病院に着いた。
もう、大丈夫と、我に返ったとたんに、パソコンを持っていた右手の親指がふっくらと腫れ、痛みがある。
様々な可能性を考慮して克明に検査が始まり、検査結果が出る頃には帳が下り、帰宅するタクシーの車窓からは街灯の明かりが目に入った。
入院にはならず帰宅できたことは、私には安堵するとともに次のステップへの励みになった。
幸いに掛かりつけの病院で、すべての病歴のカルテがあるため、来週からの治療計画もセットされた。
来週から更なる専門外来による検査が続き、親指を2か所の骨折で手術をするという診療計画のもとで、回復へ向けての歩みが始まった。
8月29日に親指の手術を終え、手術時に2本の金属で固定されていたが、時を経ること、10月3日に金属を抜き、9日よりリハビリが始まった。
転倒時に投げ出したパソコンを恐る恐る開いたところ、「ようこそ」との
挨拶に、ホットした。
凡そ、7週間語久しぶりにお休みしていたブログを始めるに至った、相棒のパソコン復活の記念日である。
2024年
8月
19日
月
2年に一度の行政による胃がん検診の結果受診に病院に行く。
ドクターから厳しい検査結果の説明を受けた。
やはり、やはり、そうかと妙に納得した。
ついつい体調不良の一刻も早い回復を願って、また、自炊する気力もなくスーパーやコンビニで出来合いの総菜や弁当を買い求める日が続いた。
主治医からも、食生活の指導を受けていながら、自制心のなさにお恥ずかしい限りである。
この検査結果は冷静に考えると、有難く、今日からまたリセットできる。
そう考えている私に、大丈夫前向きに方向転換出来たと思う自分がいた。
2024年
8月
16日
金
街並みにお盆休暇の張り紙をしている風景の季節を迎えた。
13日まで、今夏の成果を楽しみに頑張ってきたが、期待外れ、労多くしてといった表現に代表されるように、気力の衰退が著しい。
友人にいわれるまでもなく、自分でも伸びきったゴム状態で、元に戻らない体調に、なんとなく思い当たる不安を覚えていた。
天候のせいで、ラジオ体操も自宅で済ませるも、朝顔だけは傘を差しても
今朝も声をかけてきた。
まるでゲリラ豪雨で、勢いよく降り注ぐ雨がクリーニングを終えた窓ガラスに容赦なく降りかかる。
その雨を見つめながら、7月末からの不愉快な出来事が洗い流されるように祈っていた。
珍しく私としては、後退した発想に、改めて何か変だと問い続けた。
2024年
8月
12日
月
今日は「山の日」の休日振替日、ラジオ体操はいつも通り。
隣接する図書館がある入り口には朝顔の鉢に、毎朝、幾つ咲いているかなあと立ち寄るのが小さな朝の楽しみになっている。
朝顔に声掛けを済ませ、マンションの重いドアーを開けた先の白い大理石に、凡そ15センチほどの昆虫がいる。
ツルツルの大理石にも滑らず静かに留まっている。
早速スマホを取り出し、パチリ。
その後、どうしたかと気になり見に行くと、相変わらず留まっている。
午後過ぎに出かけた際は、姿が見えなくなっていた。
都会の騒々しい環境下で、その後の動向が気になり、玄関周りを克明に調べたが、見当たらなかった。
夕刻、故郷の風景が思い出され、かつての母校の恩師である校長先生に、写真を送ったところ、昆虫図鑑の説明が送られてきた。
故郷ではよく見かける「ショウリョウバッタ」と、わかる。
一瞬だが自然を取り戻した日になった。
2024年
8月
11日
日
ちょうど、先日8日で町内のラジオ体操に参加して、1年になる。
日曜日を除いて、小雨程度であれば皆さん集まり、空模様を気にしながらも続けることになっている。
ただし、日曜日はお休みなので、自宅で独りで始める。
ちょうど、夏季シーズンは日本全国でラジオ体操の巡回をしている。
思わず、聞き覚えのある地名である。
途中でも巡回地の紹介があるので、今か今かと耳をそばだてた。
岡山県矢掛町だった。
目の前にわが故郷に隣接する蛍に会える素敵な町である。
もう頭の中は「矢掛、矢掛」の風景が走馬灯のように駆け巡った。
何よりもラジオ体操をまだ一年間であるが、素晴らしいご褒美を頂いた想いで胸が熱くなった。
2024年
8月
09日
金
毎年、8月の休暇を利用して大掃除をしていた。
が、加齢と共に長年の恒例ともいえる大掃除がしんどくなってきた。
クーラーのクリーニングをした際に、思い切ってベランダを始め、室外機
さらに、見通しをよくするために窓ガラスまで、プロに依頼した。
特に窓ガラス磨きは、踏み台が必要で転倒でもしたらと思うと、目を瞑ってやり過ごした。
約3時間で見違えるほど、綺麗になりピカピカの窓ガラスからは、夜空の天体ショー、羽田空港の飛行機の離着陸が今夜から楽しみである。
やはり前日、医療機関で診療の結果、休養が必要とのドクターのアドバイスに、今日のクリーニングをプロに任せたのは正解だった。
2024年
8月
07日
水
暦の上では秋が来た、だけど兎に角暑い、熱い。
先月からやる気満々だった気力に陰りが見える。
勢い込んで楽しみにしていた新しいチャレンジが期待外れでそのガッカリは、近年では類を見ない。
終日クーラーで冷やし続けるために、呼吸器の具合が悪く、医療機関に出かけなければと思う。
2024年
8月
02日
金
近年になく珍しく食欲がわかないが、服薬義務が課せられていることで、胃を痛めてはと、食事はとらねばと思うに、胃が蓋をしている。
暖かい味噌汁かスープで流し込むしかない。
もう一方で、昨日、リクエストしていた図書の連絡に、これ幸いと借りてきた。
ちょうど、休養するには持って来いの「ファシリティドッグ」を取り上げた小説である。
表紙の装画から、犬の表情をよく掴んでおり、一刻も早く読みたくなる。
本来であれば、安静にしていなければならないところ、とうとう一気に
読んで朝を迎えた。
心なしか、高熱も寒気も治まり、快適にベッドを離れることができた。
いつものように体重計に乗ると、なんとなんと3キロ近く減少している。
今年の2月末から、コロナ太り体型に代表されるポッコリお腹を解消する
努力を続けている私である。
効果が表れているが、今朝のようなケースは、経験したことがない。
体重計の数値を何度も確認したが、間違いなかった。
思わず、頬が緩んだ。
これぞ、熱発に始まる今回の出来事は神様からのプレゼントと思える。
2024年
8月
01日
木
熱帯夜のはずが、明け方から激しい悪寒、寒気に襲われ、急いでクーラーを切るも、既に時遅し。
しまった、風邪をひいたと思うのと同時にくしゃみが止まらなくなった。
今日は月に一度の「ぼっちの会」の会場を予約する日である。
味噌汁を火傷をするほど、熱く煮立てて口に運ぶが、味がしない。
体温を測ると38℃を示したが、何としてもやらねばならぬのは、会場の予約さえ取れれば、あとは病院に駆け込むだけである。
そういえば、連日の外出で、汗でびっしょり濡れた下着に始まり、白いシャツブラウスはもちろんのこと、シャワーを浴びなければ落ち着かない。
猛暑の毎日、まったく同じパターンを繰り返していた。
さっぱり快適になった私は、連日の睡眠不足と疲労が追い打ちをかけるようにうたた寝をしたのである。
さらにさらに先週も確かダウンしているということは、シグナルを発していたということである。
医療機関では、既に新型コロナのKP.3による第11派が勢いを増しているので、「熱外来」で待機となったが、取り敢えずは安静に抗生物質で対処することとなった。
今月葉月は、これまでを取り返そうと、猛暑にも酷暑にもめげず頑張ろうと勢いづいていた決意が、初日にして脆くも出鼻を挫くスタートとなる。
2024年
7月
31日
水
今月23日の日本経済新聞夕刊に、AI時代に自分に対して「自ら思考」を求める人が多くなっているとの記事が掲載されていた。
実は、AIとはまだ縁遠いというか未知の世界だが、先月から今月、隣接する図書館に足繫く通った。
手に取るのは、哲学と心理系の図書に集中している。
自分でも驚くほど、連日図書館で先に該当する図書を借りてきた。
ラジオから流れる「パリオリ」の実況放送か「ラジオ深夜便」を聞きながら、毎日夜を徹して読んでしまうほどである。
よって朝のラジオ体操がルーティンでありながら、集中できずボンヤリとした状態で参加している。
何かを求めてあるいは納得する根拠を模索している行動であることは自覚している。
「自分磨き」には、「錆を取る」には、「砥石やサンドペーパー」でじっくりと時間をかける作業を続けるしかない。
今月文月もお終いだが、「私を考える」という哲学的スタイルに端緒し半
半端でない猛暑を乗り切りたいと思っている。
2024年
7月
30日
火
午後からの外出に、空模様が気になっている。
黒く重い雲が空に広がってきたが、今月は、予定通りに物事を運ばないと
一つ一つスルーしないで熟していった方が良い。
多かれ余計にノルマが増えるだけで、かえってしんどくなるだけ。
今月は「錆を取る」なんて大風呂敷を広げたが、その成果は達成されないというのが、正直な今の気持ちである。
今月の目標は来月にも繋げようと気を取り直した。
やがて、そのためには嘗ての「私の三種の神器」が必要と気づく。
よしよし、なんど挫折しても懲りずに逃げないとしようと、わが身に言い聞かせた。
いろいろ脇目を振り過ぎた私は、原点に戻ることを考え付いた。
暫く放置していたiPad、長年の相棒のスマートフォン、さらにまだ、購入して半月ばかりのお互いに探り合いつつのパソコンの三種類とのお付き合いをする予感を強くしている。
「私の三種の神器」である。
2024年
7月
29日
月
ラジオ体操の帰りに、朝顔に声をかけ、いつもの生活が始まるところだが
今朝は激しい疲労感に、ベッドに逆戻り、体を横たえる。
どうやら、気が付かないうちに、脱力感が忍び込んでしまったようだ。
気を取り直そうにも、体がフリーズして動かない。
「疲れたら休め」の古めかしいキャッチコピーが頭をよぎる。
今日の私は「休む」に限ると決め込み、パジャマに着替えた。
気が付くと、夕刻、自炊をするのも、煩わしく、コンビニに行く。
レジカウンターにニューフェースの若い男性店員がいる。
胃袋に何が食べたいと問いかけるが、答えが返ってこない。
ならばスルリと喉越しの良い茶碗蒸しを手に取り、レジで精算し終わったとき、私を知っていますと、人懐っこい表情で声をかけてきた。
涼しげな眼をした青年は恐らく技能研修生に違いなく、「どうして?」と
聞くと、私の白いシャツブラウスの袖を引っ張った。
そうか、確かに私は365日、白いシャツブラウスを着ている。
嘗て「読むカフェ」に「白のカラーシャツ・ブラウス」についての拘りを
記したことがある。
思わぬ効果に、これからも私は「白いシャツブラウス」を着用し続けようと想っている。
2024年
7月
28日
日
暑さにもめげず、今月は関心のある企画が多く、参加することによって、新しい収穫を楽しみにした。
取り敢えず、一段落した今日、なぜか静かな怒りに近い感情がひたひたと押し寄せる。
「キレる」といったエネルギッシュな感情ではなく、年齢的にも「堪忍袋の緒が切れる」といった方が相応しい。
よくよく落ち着いて考えるに、どうやら私の期待の大きさや強い思い込みによるものだと気づいた。
今後にその気づきを生かしていくことが大切であり、後ろ向きに考えず、学びとして受け止めようと思い直した。
ただ、久しぶりに怒りに近い感情の芽生えに、まだまだ、エネルギーが枯渇してないとも、都合よくすり替えてもいた。
いやいや、六秒間を待てなかったともいえる。
奇しくも傍らに数日前に図書館にリクエストしていた、桝野敏明著「おだやかな人だけがたどり着く場所」が待っている。