2016年

10月

31日

決算日とトリアージ

10月31日はある意味でひとつの区切りをつけるための決算日と未だに私の中には習慣というか、生き続けています。

私をよく知る友人は、「今月が決算月だから、またいろいろと忙しくしているのでしょう」と話題になります。「今年は何を決算というかリセットするの」と突っ込んできます。
決してそのツッコミに嫌悪感を感じることはないのです。まさにその通りですから。
少し前に「25年サイクル」を取り上げたことがありますが、小さな会社も25年を一区切りにクローズ、また医療ボランティアも来月11月で通算25年になります。
会社経営とボランティアは重なっていますが、75歳で人生を25年を1期としますと、3期と設定できます。
後期高齢者になる75歳までには、すっきりとした人生設計をしておきたいとの思いがけない、ここ半年ぐらい考えていたのではないかと自己分析しています。
常々、人生にも「トリアージ」が必要だと思っています。75歳を目安に何が大切かを真摯に向き合うために、自分をリセットしなければ難しいと思います。
よく言われていますが、「心の整理」は意味から「トリアージ」が該当するように、私は思っています。
敢えて「思っています」という表現に溢れていますが、個人的な体験から割り出したものだからです。
あるトップ企業の経営者の方から、経営上の迷路に迷い込んだ時に、「ピンクと緑の組み合わせにいつしか気持ちが和んでくるね、自分でも不思議だけど。必ずとどんなことでも解決するものを見つけておくといいよ。ところで、私を和ませる絵はあるかい」
やっと私の決算報告はおしまいです。
振り返るのは苦手な私は、すでに気持ちは来月から新しい人生の予算に取り組まなくてはと思っています。

2016年

10月

30日

今日は休ませて

今日は寒い。底冷えの日との予報が当たりました。

10月末から11月に入る晩秋の数日は必ずといっていいほど、いろいろと思いがけないことが起こり、また未だに25年間の美術の仕事の際、小さい会社とはいえ決算月の後遺症が残っているようです。
今年もどうやら、同じライフサイクルに陥ってしまいました。
心身ともにガス欠状態です。
昨日、私がおとなしく(?)していますと、案じてメールや電話がかかってきますので、今年は事前に私の方から、「明日の約束はチョットパスさせて。そっとしてくれる⁉︎でも心配しないで」と先手を打って、ベッドで静かに過ごすつもりです。
時々、私には独居生活をしたくなります。一日中、話もしない。ただ、何も考えないでボンヤリしたいと思うことがあります。
ひとつ朝から、楽しみにしていることがあります。
今夜9時15分からのテレビ朝日の日曜洋画劇場が番組50周年記念に、永年活躍なさった「サヨナラサヨナラ」のフレーズでお馴染みの映画評論家の淀川長治氏が、オープニング映像に放映されるということで、一生懸命眠気と戦っていましたが、目が覚めた時は日付けが変わっていました。
銀座百点の編集部時代に、淀川先生に原稿をお願いしていました。
ちょうど締切日にお電話をいたしましたところ、「淺野さん、あなた風邪引いとりませんか?」「はい、チョット」「ちょうど、銀座に用事がありますから、私が届けましょう、今日は寒いから淺野さん、大事にしてください」
駆け出しの編集者の私の声から、体を気遣ってくださる淀川先生の優しさに胸が熱くなりました。
ああ、残念。

2016年

10月

29日

人生のリバウンド

今日は天気予報によると風冷えとの注意報に、確かに寒い。

うっすらとガラスが結露に近い状態で、紅葉前線の南下が現実に感じる季節を迎えています。
昨日のアイパットと9月に岩波新書から刊行された中村明氏の「日本の一文 30選」を持参していましたが、ページを開くことなく帰宅していました。
昨日の疲れもあり、お天気も冴えないので、私にとっては魅力的なタイトルでもあり、ワクワクした気持ちでした。
体力と耐力のない私は短編が親しみやすく、編集時代もよく短文で明確に伝えるように指導されていたせいもあり、実は今のような文体は私から言えば、説明が過ぎて本当は避けたいのですが。
筆力もないのに生意気を申し上げます。
「日本の一文 30選」に日本の芥川龍之介の『侏儒の言葉』から「人生は一箱のマッチに似ている。が取り上げられていました。
確か私も読んだ記憶が残っています一文を見つけ、私もまんざらでもないかと思いました。
マッチといえば、マッチの老舗がクローズするような報道を最近聞きましたが、童話にも「マッチ売りの少女」もあり、時代とはいえ寂しさを感じています。
ところで、私はこの一箱のマッチは、使い方によって、灯りを灯す役目と、軸の方は角で傷つくといった二面性を持っていますことこそ、人生なのだと思っています。
人は自分でも解決が難しい時は、相談相手を求めますが、私はこの相談相手で後に、後悔をした苦い経験を持っています
友人であったり、尊敬している先生や、話しやすい親戚のおじさんやおばさんだったり、あるいはお付き合いしている相手だったり、見渡せばたくさんいます。
しかし、あらゆる点で冷静にバランス感覚と常識と知識を持った方は、逆に少ないと私の失敗から考えています。
一方的に相談相手が思い込んでしまうケース、上から目線で、いつまでも相談相手が成長していることに気付かないケース、自分の考えを一方的に勧めるケース、ズカズカと介入してくるケースなどなど。
相談相手に対しての情報と相談される立場の広い視野と、相談相手の情報から適切で平常心を失わないで、相談相手を信じて、幾つかの選択肢になるヒントを提供することではないでしょうか。
つい、苦しんでいる相談相手に、心配のあまり、多くを語りたくなりますが、情報量が多くなれば迷うだけで、助けを求めて相談相手を広げていくというスパイラルに陥ってしまいます。
一度、元の自分に戻ること、表現が誤解を招きそうですが、静かにスタート時点にリバウンドすることも必要ではないかと、自分の失敗からお話しました。

2016年

10月

28日

おめでとうございます

昨日の夕刻連絡が入り、急きょ関西まで出かけることになりました。

あいにく雨模様で、新幹線の車窓に雨がぶつかり、外の風景と雨が一つの糸を紡いでいるように思いながら、久しぶりに毎日の定期的な日常生活から解放されました。
アイパットから、夏目漱石の「こころ」を読むことにしました。
今年が没後100年にあたり、ロンドンの「漱石記念館」が9月28日で閉館との報道に、偶然今日は閉館後1ヶ月に当たること、先日NHKで確か「夏目漱石の妻」というドラマや、さらに亡くなった母が一番愛読していたのが「こころ」でした。
途中で、また車窓に降りかかる雨のことが気になりましたが、すぐ思い出しました。
大学ではマスコミを専攻していた私は、講義の中で「雨」というテーマで、400字まで、与えられた時間は確か10分か15分以内だったと思います。
書き終わったら教室から出て行くということでした。
教室の窓からは、緑の木々と雨しか目に入りませんが、流れ落ちる雨が、緑の葉と重なってまるで緑の糸を紡いでいるといったないようでした。
後日、指導教授から「百点満点、ナンバーワン」との評価をいただきました。
帰宅して、夕刊紙に津村節子先生の文化功労賞受賞に、「銀座百点」の編集部に在籍中、毎月「銀座の女性」という連載を担当さてていただいていました私は、心から「先生、おめでとうございます」とお祝いの気持ちを申し上げます。
物書きに関心を持っていました私を、吉村昭先生津村節子先生の御夫妻が、神楽坂の赤城神社の近くで、文学を目指す集まりに連れて行ってくださったことを思い出しました。
素晴らしい宝物のように大切な思い出をいただきました。ありがとうございました。
先生、もう一度、おめでとうございます。

2016年

10月

27日

爪の長さ

今日は爽やかな秋晴れです。そして大安です。

毎朝、メールの確認を済ませての外出が私の朝のリズムです。
パソコンのキーボードに打ち込む手先といいますか、爪が伸びているとキーが打ちにくいために、爪の長さの基準にもなって久しくなります。
思わずいつもより伸びた爪を理由もなく、しみじみと見ていました。
もう出かけないとと思いながら、手のひらから平均的に伸びた爪が綺麗に揃って見えます。
その爪の長さに私は、昔は爪の手入れも心がけ、好きなパールピンクのマニキュアを塗っていた時代の扉を開けていました。
あの頃の私はと、走馬灯のように綺麗に揃えた爪にピンクのマニキュアをつけて、生き生きしていた自分がいたことを。
その頃は友人たちは、私は肩で風を切って歩いていたとか、マグロちゃんとか、瞬間湯沸かし器などといわれていたのでした。
せめて今日の1日は久しぶりに懐かしい爪の長さでいたいと思いました。
まだ見えてこないのですが、私の中で何かを必死に探し、揺れ動いている自分を制御できないでいる自分がいます。
こんな久しぶりに爽やかな秋晴れの日に、もったいないことですよね。

2016年

10月

26日

共に学ぶ

今年最後の真夏日との天気予報にしては、朝の風は冷たく感じます。

もう一つ、恐らく今年最後の学生ボランティアと思われる高校生と、図書の巡回サービスをしました。
すでに高校生から、将来は医療人との目標を持ってボランティアを通して学びの第一歩です。
図書というツールはとてもコミュニケーションを学ぶ上で重要な要素になります。
入院中の患者さまとのきっかけ二、一冊の図書から話題が見出せたり、患者さまから教えていただいたり、日常的な空間が醸しだされます。
ボランティアは社会の風をお届けするということ、病室が一瞬でも世間に変わります。
そして表情もお話をさせていただいています時は、生き生きとなさる方、笑顔になって学生ボランティアにエールを送ってもくださいます。
いつも学生ボランティアと共に、私も医療ボランティアについて新しい気づきの場となります。
指導することは、まず私が学びなおすことにもなり、生きがいにもつながっています。
私もそっと心の中で、良き医療人になることを応援しています。
季節から言ってもうアサガオはと思っていましたが、ご近所の窓辺にたくさんの花が咲いています。
調べたところ、セイヨウアサガオの「ヘブンリーブルー」という品種ではないでしょうか。
11月ごろまで咲くそうで、元気をいただきます。
セイヨウアサガオのように、寒さにも負けないでね。

2016年

10月

25日

幸せ感を持とう

ひと雨ごとに温度が1度下がるそうですが、つい最近までは気温の上昇が話題になっていましたが。

このところどうも心身ともにスカッとした日がなく、これはマズイことでもあり、本来の私ではないことに気付いています。
掘り下げて考えてみれば幾つかの要素に当たる原因はありますが、そんなことばかり考えていると、またどこからともなく病気が喜んで私をめがけて滑り込んできます。
ケアのケアをするためには、まず目の前の新聞の切り抜きや、必要と思って積み上げている印刷物ほか、目に入るもので気になるものの整理、仕分けをすることです。
仕分けの場面で思い出すのは「2番ではいけないのでしょうか」 という有名な発言が頭に浮かびます。
しかし、2番では完全に整理、仕分けができないと私は思う性格があります。厄介な性格です。
ゴルフを始めて以来、自分のことは自分で始末しようと気付いたことも大きな要素です。
そんなわけで、小雨模様の朝です。外に出ることもなく静々と片付け作業に終始しているうちに、頭が軽くなってきます。
今月の13日の日経新聞の夕刊に「幸せ感を呼ぶ脳内ホルモン」という記事に、興味を持ち早速切り取ってあります。
記事によれば、脳の中心部にある下垂体が作り出すホルモンで「エンドルフィン」を作り出す工夫をすれば良いとのことで、ランニングや入浴が効果的とあります
さらに疲れた後の糖分や脂肪分の多い食べ物、チョコレートやアイスクリーム、霜降り肉などと続きますが、取りすぎはダメと釘をさしています。
自分が楽しいと思う生活もエンドルフィンがでるそうで、今日の私は恐らくそのエンドルフィンがたくさん作られたと思っています。
ちなみに、ペンタスの花言葉は「希望は実現する」とのことです。

2016年

10月

24日

ザ・ファイナル

最近、友人の死の知らせを受けることが多くなりました。

一昨日も悲しい知らせに、自分もその時が近づきつつあることを受け入れなければならない年齢になったということを思い知らされます。
今の時代では、70歳代の死は早過ぎるように思いますが、こればかりはなんともできないことです。
かつて緩和ケア病棟に入院中の方から、できれば自分の誕生日にこの世を去りたいと話されたことを思い出します。
結局、その方の願いは叶わず、お誕生日から約一カ月後に旅立たれました。
その方になぜ、お誕生日がいいのですかと尋ねましたところ、男というか自分のロマンかなと話されました。
実は私も同じ想いを抱いています。その方はロマンとのことですが、私は単純に人生の帳尻合わせと考えているだけです。
しかし、私は7ヶ月の未熟児でこの世に早々と飛び出したわけですから、実のところ本当の誕生日はわからないなんて考える時もあります。
縁起でもないのですが、今日の夕刊に美術家の中西夏之氏の死亡記事に、また一つ寂しさを感じます。
中西作品といえば、細く繊細なメッシュ状の作品と、なんとも言えない紫の作品が目に浮かびます。
現代建築にとてもマッチし、私の場合は版画ですが、ずいぶんお勧めして喜んでいただきました。
シンプルで無機質的な空間ほど、白と紫の繊細な中西作品の存在感に魅せられたものです。

2016年

10月

23日

山茶花が咲いた

今日は24節気の霜降、秋の終わりを告げるともいわれています。

私は、瀬戸内の南斜面で育ったために、霜というものを見たことがなく育ちました。
小学校になって、父親の仕事の関係で南斜面から、二駅ほど離れた平地で、初めて見た霜の美しさに目を奪われました。
そして霜柱も経験し、サクサクと踏み潰すことが楽しく、思い切り踏んでいました。
ところが、霜柱からお返しをいただきました。
当時はズック靴のために、すっかりびしょびしょに濡らし、足元からゾクゾクと寒さに襲われ、結局風邪をひくことになり、お医者さまのお世話に、やがて、夜、湯たんぽで足が温まると、指先が猛烈に痒くなりました。しもやけです。
父親の仕事の関係で、藁の綱や細かくした木箱を毎朝、焼いていました。
焚き火ですが、この中にお芋が入っています。
今は焚き火は禁止されていますが、懐かしい風景です。
近所の人も集まり、焚き火を囲んで、焼き芋になるのを待っているのです。
山茶花といえば、こんな歌がありましたよね。
「さざんか さざんか さいたみち 」「たきびだ たきびだ おちばたき」「あたろうか あたろうよ」「
しもやけ おててが もう かゆい」

2016年

10月

22日

経営者の顔をしている

夕刻、友人が「いつも忙しい、忙しいで、キチンと食事も摂っていないでしょ」と訪ねて来ました。

ちょうど今が旬だからと言いながら、テーブルに広げ始めました。
プーンと秋刀魚の香ばしい匂いが辺りを包み、カボスと大根おろしも添えてあります。さらに栗ご飯までも。
小さな淺野邸は、秋の味覚でいっぱいの素晴らしい夕食となりました。
「ねえ、最近あなたの顔が昔の経営者の顔に戻ってきたように思えるけど、また何かを始めるつもり?」
友人に言われるまで気がつかないでいましたが、確かに、何か掴めないのですが、今年の誕生日を迎えた頃から、精神的にモゾモゾしたものを感じています。
ある友人が「最近、昔のことや、今まで夢にも現れなかったような親戚や友人が毎日のように夢に出てくるの。何か意味があるのよね」と数日前に聞いたことが思い出されました。
その友人もこれまでの過ぎ去った時間から、何かを新しく探しているのではないでしょうか。
「常に思い切りがよくて、振り返らないで、前向きに考える人なのに、あなたもそうなの」と友人は私も似通ったことを経験していると話しましたところ、心持ち安心した表情になりました。
ちょうど、最近路地で見かけた大きな袋を蓄えた植物のように、私の中でだんだん袋が膨らんでいます。

2016年

10月

21日

栗を剥かないか

今年も栗の季節を迎えました。かつて銀座で美術の仕事をしている頃です。

どんなに小さな会社でも決算期があります。10月が決算月でした。
創業1年目は赤字になりましたが、なんとか毎年、赤字を出さすに済ませることができました。
必ずしもマネーの神様が微笑んでいるとは限りません。
帰宅すると、父は茹であがった栗をテーブルに置きながら「マリ子、栗を剥くのを手伝ってくれないか」
とナイフを差し出します。
なぜか、栗剥き用ではなく、ペディキュアナイフに近いものです。
父と黙々とただひたすら、栗と格闘しています。
「何か考え事がある時は、手を動かすといいよ」今でいえば、まるでツイッターのようにポツリと。
なんでもないように栗剥きは続きます。
手が痛くなり、私はスピードが落ちるばかりです。
「もう十分だね、助かったよ。お茶でも飲もうか」
私がお茶の準備をしている間に、テーブルには先ほどとは異なる綺麗な栗の姿をとどめた栗がお皿にあります。
手先の器用な父は、既に数粒の栗を私が帰るまでに剥いていたのです。
憎いね。お父さん。全てお見通しとは。

2016年

10月

20日

風に吹かれたい

ボブ・ディランさんが、今年のノーベル文学賞が発表されて間もなく、一週間を迎えます。

懐かしさと共にいろいろなことが思い出される方も多いのではないでしょうか。私もその一人です。
「どれだけたくさんの道を歩き回れば 人は一人前だと呼ばれるようになるのだろうか?」
この最初の歌詞に私は頷いたものです。
時を経て、また私がこの歌詞にあるように、どれだけたくさんの道を歩き回れば良いのだろうかと、最近考え込むことが多くなっています。
幸いに、住まいの前が公園があり、なんとなく私も閉鎖的な思考回路を断ち切りたくて、そうだ、公園に行って風に吹かれたいと思い、ある一冊の本を携えて。
公園の落ち葉に季節を感じ、フウーと息を吸い込んでみる。
大きな切り株でできた椅子に座って、ボブ・ディランの風はどんな風なんだろうと想いを巡らしているところに、風に吹かれたのか足元に枯れ葉が落ちてきました。
「その答えは風の中に舞っている」とボブ・ディランさんも最後に、歌っています。

2016年

10月

19日

25年サイクルが近づく?

私の中で何かが蠢き始めているのがわかります。

まだこれと決定づけるものではないのですが。
今月の11日に 、各務謙蔵氏のコレクションが クリスティーズのオークションに出品されるという記事が 、日経新聞の文化往来欄に、掲載されていました。
出品作には私もご縁のありました菅井汲を始め、戦後美術を代表する17人の美術家の作品だそうです。
海外では最近、日本の現代美術が注目を集めているとのことです。
通算25年美術の世界に身を置いていた私は 、その25年間のことが妙に頭を占め始めている自分に気づくことが多くなりつつあります。
ちょうどアップしました花スプレーマムの花言葉の通り、自分の気持ちを自分がさぐり合っています。

2016年

10月

18日

積もり積もりました

昨日のエネルギーチャージのおかげで、どこかで誰かがきちんと整理をしなければと、私は準備して臨んだのですが。

よく世間でもわずか1人の行為が、すべてのように思われやすい傾向があります。
残念ながら、その部分の方が拡大していく怖さがあります。
そのためにモチベーションも下がりかねないのです。
今でも「ホウレンソウ」が必要だなぁとつくづく考えさせられることにぶつかってしまいました。
人には長所と短所持ち合わせていますが  長所が短所にもなり得ることが起こります。
先週のことですが、火消しの半纏を羽織って、颯爽と歩いているのを見かけました。
思わず、大火にならないうちに火消しをお願いしたい心境です。
心理学で、人が理解するという基準は、これまでの経験値や体験値、育ってきた環境の中で知り得た言語で判断するために、相手が求めていたり、期待していた回答には必ずしも繋がらないと言った講義を思い出しました。
なぜか、会議中に思い出し、問題提議の難しさを感じました。
と同時にスッキリしないまま、気まずい空気だけになってしまいました。
逆に積もり積もってしてまいました。イヤハヤ難しいの一言です。

2016年

10月

17日

今日は休みたい

今日は昨日の父親のモーニングコールのせいではないと思うのですが、体のキレが悪くて仕方がないのです。

さらに合わせるようにお天気も冴えない日です。
こんな日は自宅でのんびり、ポーとしていたいと、どこからともなく怠け癖が頭を持ち上げてきます。
そんな日はやはり、新聞を読むことが一番の回復剤です。
今月の日経新聞の樋口久子氏の「私の履歴書」も楽しみの一つです。
今日16回の連載に、浜松シーサイドGCでの日本女子オープンに優勝した話が載っています。
かつて私も浜松シーサイドGCでプレーした時のことを思い出しました。
初めての時、ちょうどクラブハウスを改築中で、当時私は美術の仕事をしていたために、とっさに食堂か、ロビーに絵画をお勧めしようと思い、帰宅しました。
幸運にも東京にオフィスがあるとのことで、早速先日プレーした時のスコアーカードを持ってお訪ねしました。
初対面で厚かましいお願いに、美術にも造詣が深い社長様は、お求めくださったのです。
その後、お礼の気持ちもあって、数回プレーさせていただき、その都度スコアーカードを持ってお目にかからせていただきました懐かしい思い出がよみがえってきました。
夕刻には雨も上がり、明日へのエネルギーチャージも万端になりました。

2016年

10月

16日

父からのモーニングコール

今日は父の命日です。16日の午前3時35分に亡くなり、18年になります。

ところが、未だに死亡時間に私は目を醒まします。まるで父がモーニングコールをしているとしか思えないのです。
未だに 多分天国で預かっていただいていると思うのですが、この16日には朝早くから私を巻き込むのです。
確かに心配してくれるのはありがたいのですが、私からは、ただ一つ可愛い孫を抱かせることができなくてゴメンナサイ。
今日16日は「孫の日」だそうです。
なんでも東京の北区の自治会では「孫育てハンドブック」があるそうです。
日経新聞の6月に掲載された記事ですが 、その冊子の中に「風呂上がりに湯冷まし不要」とあります。
実は記事の内容を読む前に、小見出しに「湯冷まし不要」という文字が目に入りました。
「湯冷まし」には、私が病院ボランティアを始めるルーツのために、一瞬、目を疑いました。
白い花が好きな父に自宅の近くに咲いていました「エンゼルストランペット」をお贈りします。
花言葉も添えて「遠くから私を思って」。
でも明日はモーニングコールしないでね。

2016年

10月

15日

カナダからの手紙

外出先から帰宅する時に、玄関先のポストを開けるのが楽しみです。

今日のポストには、今年の7月に家族4人でカナダに移住するために旅立った勇気ある若いパパさんからの手紙でした。
カナダといえば平尾昌晃と畑中葉子のデュエットでの「ラブ・レター・フロム・カナダ」を思い出しますが、私にとっては ラブレター以上の喜びでした。
神社や寺院などのお守りを渡し、一日も早く新天地で幸せな毎日を送れるようにと案じていただけに、ホッと胸を撫で下ろしました。
そういえば、中学生になって 英語を学ぶようになり、初めて文通をしたのが、カナダの同世代の女子学生でした。
お互いに切手の交換をしていました。
しばらくして、その彼女からメープルのブローチが、私のバースデープレゼントに届きました。
私は確か羽子板のセットをプレゼントしました。
懐かしい思い出もよみがえったひと時になりました。

2016年

10月

14日

伐採作業

最近、あちらこちらで街路樹や植木また雑草などを思い切り刈りとっている光景を見かけます。

実に職業柄とはいえ、素早い判断力に、私はすっきりします。
実は私はここ数ヶ月、あることに外科的メスをいれなければいけないと 、モヤモヤした日々が続いています。
日本の森林は、適宜な伐採を必要とされていると言われています。最近、その伐採が怠慢になっている傾向があるとも聞いています。
伐採をすることは、次世代のために必要とされるからです。
よし 、私もモタモタしないで、次世代のために決意しなければいけない時がきました。
小人閑居して不善を為すといいますが、私の場合は考えすぎると体のどこかにシグナルが発生しそうなの 
で、思い切りよく伐採作業にとりかかる決心をしましょう。
しかし、決心までに珍しく時間がかかり、いささか疲れています。

2016年

10月

13日

十三夜

今夜は十三夜。十六夜、十五夜と月もいろいろと楽しませてくれるので、私は月に関心を持っています。

特に十三夜にわけもなく心魅かれます。
まず思い出すのは 樋口一葉の「十三夜」の明治時代の女性の耐え抜くお関のことを思い出します。
ずいぶん前に読んだので、はっきりは憶えていないけれども、耐えるということが、苦手な私は 確か読んでいくうちに息苦しさを感じたことは確かです。
明治20年代の女性の生き方としては、当時はさほどのことではないのかもしれませんが、季節的にも秋という切なさもあるように思います
ここで終われば良いのですが、急にお財布から5千円札を探し、樋口一葉をしみじみ見つめたくなりました。おかげさまで一枚ありました。
来月11月20日から23日まで「一葉祭」が一葉記念館で開催されます。

2016年

10月

12日

ペアルック

今季一番の冷え込みにコート姿も見受けるとのニュースに、私も朝夕と日中の気温の変化に戸惑っている一人です。

「日本の歌百選」にも選ばれた、この季節にはなんといっても、さだまさし作詞作曲の山口百恵による「秋桜」を思い出す方が多いのではないでしょうか。
確かな記憶ではないのですが、年老いてゆく母の姿を歌にしたもので、歌詞から少し認知症とも思われると公開の場で誰かが話していたことをふっと思い出します。
いつもペアルックのセーターを着て、年配の母親と手をつないでいますご近所の方をよく見かけます。
そのペアルックもとても明るいピンクやオレンジやかわいい動物柄とか、思わず微笑ましく、また遠くからでも直ぐ、わかります。
信号待ちをしている時に、思わず「ペアルックがお似合いで、とても素敵ですね」と声をかけました。
「あら、恥ずかしい、気がついていましたか。どうもありがとうございます。母はチョット派手だと気に入らないようなんですが、最近どうも少し物忘れがひどく、認知症のようで、一人で出歩いて行方不明にでもなったらと、もしもの時に母と同じものを着ていれば、見つけやすいと思って」
娘さんからペアルックの意図を聞いて、なんて素晴らしい発想だろうと感心しました。

2016年

10月

11日

チョコレートが固い

毎朝、ホットコーヒーと「チョコレート効果」を一粒という朝食がかれこれ1年以上続いています。

別にキムタクのフアンというわけではなく、カカオポリフェノールの効果を期待して始めました。
先日もチョット触れましたが、すぐ緊張モードになるために、せめて予防と改善のため、御身を大切にというところです。
カカオポリフェノールに私が期待をしているのは、年齢的には動脈硬化の予防、性格的な面からストレスホルモンの分泌抑制、毎朝、血圧計を見るだけで何となく緊張している自分が分かります。
血圧の数値に一喜一憂しながら、最後は血圧低下効果を一粒に期待しています毎朝の生活スタイルから、朝がスタートします。
今朝のチョコレート効果の一粒は、やはり気温に敏感に反応して固くなっていました。
急に朝の気温降下にこれも予防の為、ウールのセーターの出番となりました。

2016年

10月

10日

体育の日杯

1979年から私は龍ヶ崎カントリークラブの会員になり、ほとんど日曜日はこのホームコースでゴルフライフを楽しんでいました。

ひとつには、当時銀座で美術の仕事をしていましただけに、ある意味でリセットが目的でもありました。
楽しいだけでなく、ゴルフは、ショットを失敗しても誰のせいでもなく、自ら蒔いた種は自ら刈り取るといった言葉が聖書にありますが、まさにそのものです。
ゴルフを始めて、とかく人のせいにしたくなる私の弱い部分が通じないことを身をもって学ぶことになりました。
今年は、東京オリンピックの開催日と同じ10月10日が体育の日となりました。
毎年 「体育の日杯」という競技があり、年齢別に分かれ、私は当時は一番若いグループに属し、1985年と1988年の2度優勝しました。メンバーーの方には「体育の日杯 だけど、今日も優勝かい」なんて冷やかされましたことも今は懐かしい思い出になりました。
ところでハンディキャップは言わぬが花です。

2016年

10月

09日

心癒すフルート

「日本フルート協会」が、2016年の今年、創立50周年を迎えたと、日経新聞の文化往来欄の記事で知りました。

かつてホスピス、緩和ケア病棟でボランティアをしています時に、季節に応じた行事のお手伝いします。季節の行事の他に、音楽もお願いすることがあります。
事前に各病室に、お知らせをしますが、不思議なことにフルートが一番人気があります。
今日のお天気のように激しい雨のち晴れのように、演奏を聴いていらっしゃる患者様やご家族の方の表情が、明るく和やかに変わってまいります。
次回もとリクエストをなさる方もいます。
ある患者様に伺ったところ、「自分とその演奏者との呼吸というのかしら、ブレスというのかしら 、息づかいに一体感を覚えるの」と話してくれました。
記事の最後に「フルートへの愛にあふれた」とあります。きっとフルートへの愛が演奏者を通して、病気の方の心に届くからではないでしょうか。

2016年

10月

08日

また、46分の符合

今日は24節気のひとつ、寒露です。

暦の上ではいよいよ本格的な秋到来の爽やかな朝を迎えるはずですが、午前1時46分、阿蘇山の中岳が36年ぶりの爆発的噴火をしたのです。
早朝、またもや46分というその爆発発生の時刻に、背筋の寒さを覚えました。
そして、なぜ、自然はこれでもか、これでもかと集中的に牙を向けるのでしょうか。
私も少なからず、熊本とはご縁があり、言葉を失います。
今年は諦めていましたムクゲの花がしっかりと咲いています。
美しさと、たくましさに、ささやかですがお見舞いの気持ちとさせていただきます。

2016年

10月

07日

いたしません

来週から始まる「ドクターX」を楽しみにしている私です。

小学校の通信簿に「協調性に欠ける」と評価された私ですが、どうやらその評価をうまく利用することも必要な時もあるように思っています。
組織で物事が動いています時に、突然の変更は、時によっては土台すら危うくすることにもなりかねないのです。
ずいぶん長い間、私は苦手とする協調性を閉じていましたが、今日の私はついに我慢できなくまさしく切れました。
「いたしません」「承服しかねます」
相手は初めて反旗を掲げた私をどのように評価するかは未知数ですが 、「これで良いのだ」と血圧も上昇することなくスッキリしています。

2016年

10月

06日

もうこれきりですか

朝、新聞受けに廊下に出ると、空気が冷たく感じます。天気予報によれば、今年最後の真夏日と報じています。

本当に「もうこれきりですか」と信じ難い気持ちが強いのですが、願わくば、そうあってほしい。
ひと息したいと誰しも思っているのではないでしょうか。申し訳ないのですが、せっかくのショーウインドーの季節の早取りに、汗を感じそうになります。
この中途半端とも思われる季節にマスク姿が目に付きます。
私もなんとなく喉の痛みに、ガラガラを始めています。
パッチリと元気な花にもバラツキが目立ってきました。
温度差に負けないでねと声をかけたくなります。

2016年

10月

05日

露地探検

2000年1月、生来のせっかちと約束の時間に遅刻をしそうになり、走っていた時、突然、グラッと激しいめまいに襲われました。うずくまった私は、さらに早鐘のように動悸がします。

治るまでその場でじっとしていましたが、立ち上がるといやーな気持ちになります。
ちょうど約束先は病院です。
とりあえず、約束の相手にも気づかれることなく無事に終えたのですが、軽いフラフラと胸のトキメキが消えないので、思い切り、私もその病院の患者になり診察を受けることにしました。
それ以来、今日までの16年間、また私の病歴が増えましたが、気の小さい(?)私は、緊張すると血圧が急激にアップするようです。
それ以来2カ月に一回、循環器でのフォローアップが続いています。おかげさまで、降圧剤を服用することもなく、自分の性格とタッグを組んでいくことに努めています。
どうも急ぐ時、また逆に時間にゆとりがある時、露地を歩く傾向があります。
時間のショートカットにもなり 、また思わぬ草花に出会う楽しみにもなっています。
これからも私の露地探検は続きそうです。

2016年

10月

04日

天高く、何をする

天高く、気持ちの良い朝です。思い切って衣替えの季節かなと思うものの、まだ暑さが勝っています。

昨夜から、友人が「久しぶりに有島武郎の本を読んでいるけど、読み終わったから、あなたも読んでみない、懐かしいでしょ」と渡されていたのを思い出し、衣替えをする気持ちにもなれず、パラパラとページをめくりながら、既に忘れていた懐かしい作家です。
ハルキ文庫から出版されたハンディーでリーズナブルな280円文庫で「一房の葡萄」から始まり、最後は「小さき者へ」まで6編の短編集で、思わず引き込まれて読み始めています。
読んでいるうちに、かつての読後感とは異なっていることに気がつきます。
特に「小さき者へ」は、この歳になると細かい父親の息づかいを感じ、確か記憶を辿ると最初は父親から渡されたのでした。
お恥ずかしい結果ですが、急に葡萄が食べたくなり、日傘をさし、スーパーに出かけたのです。
やはり、胃袋は正直に天高く食欲の秋です。

2016年

10月

03日

青い実の蜜柑

地下鉄の階段が濡れているということは、外は雨が降っていることがわかります。

昨日の爽やかさはどこに行ったのでしょうか。
この季節に気になっている蜜柑の木があり、チョット寄り道をしました。
驚きました。なんと今年ははち切れんばかりの青い実を付けています。
すでに20年ほど前になりますが、この蜜柑は両親の反対を押し切って、結婚した若いカップルから相談され、近所のお庭に引っ越し、移植されたものでした。
若いカップルの男性の自宅にあったものですが、両親が相次ぎ亡くなり、自宅を手放すことになり、彼は母が大切にしていた蜜柑の木を引き取り、転居先を探していたのでした。
私の父親が知り合いと折り合って今日まで、蜜柑の木は毎年、新天地で緑の葉は季節を裏切らないで繁っています。
しかし実を付けた記憶がないのです。ましてや、実が熟したこともない蜜柑の木です。
ところが、雨の雫とともに大きな実が幾つか付いています。
残念ですが、良き報告をしたくても、既に若いカップルは、無理に無理を重ね、心身ともに悲鳴をあげて、天国に引っ越してしまいました。
亡くなった私の父親が、このカップルを自宅に招きとても可愛がっていました。
「今年は大きな実が付いているわよ」と話しかける相手がいないことに、寂しさが募ります。

2016年

10月

02日

爽秋の候

今年はもう秋という季節は失われたような気持ちになる日が続いていましたが、今日は違います。

初めて「秋」を感じ、味わうことができました。
この季節、必ず、どこかで「菊花薫る今日このごろ」と使われる秋を代表する名文句がぴったりの日となりました。
これこそ日本人が待ちに待った秋です。しかし、すでに台風18号が日本に近ずいています。
だからこそ今日は、思い切り貴重な秋をインプットしておきたいと思いました。
明日への希望につながる爽やかな日曜日となりました。

2016年

10月

01日

桔梗の花

1979年10月1日の午前10時、私は大磯にお住いの日本画家の堀文子先生の御宅の玄関の前にいました。

緊張が最高潮に達しています。縁遠い私は、33歳の時に思い切って自立を考えました。幸運にも父親の友人の勧めもあり、銀座に画廊をオープンすることにしました。
画廊についての経験は全くなく、今振り返ると、若さゆえのことのように思っています。
場所も決まり、内装工事が始まり、12月にオープンする目安もつきました。
老舗の日本画の画商さんを、文藝春秋の上司の方が紹介してくださいました。画商さんから、畏れ多くも堀文子先生を紹介してくださったのです。
応接室に案内された私に、「淺野さん、画廊オープンのお祝いをしましょう」とおっしゃって、なんと朝の10時過ぎに「おめでとう、乾杯」と赤ワインでお祝いをしてくださいました。
気がつくと、お昼近い時間にお暇の挨拶を申し上げました私に、「一緒にお昼をしましょ」と、和室に案内してくださいました。
すでに、にぎり寿司が用意されています。そして、「もう一度、日本酒で乾杯」と盃を交わすことになりました。
まだ、未知数の私を温かく包み込んでくださいました。忘れられない貴重な時間を過ごさせていただきました。
ちなみに、10月1日は「日本酒の日」と、今日初めて知り、37年前の堀文子先生のことを思い出しました。