2018年

3月

31日

体験の力

今日で弥生3月も終わる。私は弥生3月が、誕生月だけにジーンと胸に込み上げるものがある。
出来ればこの様な至福の時が長く続く事を正直言って秘かに願っている自分がいた。

6月には故郷での講演が待っている。心は既に時間があれば、故郷に思いを馳せている。
今はネット上で、調べることができる。グーグルアースで見て唖然とした。
全く様変わりで、想像を絶した故郷に驚くばかりで、61年の月日を実感した。
一方で嬉しさと緊張が交錯している。

ただ、私はこれまでも一貫して、体験のみしか語れない。
ここで一つ疑問が頭を過ぎった。「体験」と「経験」の違いが気になった。

広辞苑と言いたいところだが、私には曾てゴルフ場の確か30周年記念品のハンディな「三省堂第二版・新小辞林」を常に手元に置いている。相棒の様な存在なのだ。

その相棒によれば、「体験」は「実際に経験すること」更に「体験談」とある。
「経験」は、「じっさいにやってみること」「経験によって得る知識・技能」とある。

辞書を引いて、逆に混沌と後悔の感が拭えない。
無意識の内に、私は「体験」の使用度が多い。

経験の方がチョット自己顕示を感じる。やはり私は「体験」が馴染みやすく思える。
これまでの体験が生かされることは、決して何一つ無駄になってないと、私の背中を押してくれる気配を感じている。

2018年

3月

19日

青天の霹靂が起こった

「青天の霹靂」いう言葉はあるが、遠い存在にしか考えていなかった。
これまで、私がもがき苦しんだ原因は、堅炭の様な下心というか、また日の当たる場所の夢が燻っていたからだ。
しかし心身ともに白旗を揚げていた私は、事あるごとにその想いを削除して来た。
不思議なもので、野心と言うか自己顕示欲から解放され、心身ともに快復途上にある自分を受け入れた。

その矢先に、2017年の嘗てご縁のあった出版社から、2012年ソフトカバーで刊行した「笑顔の力」を
文庫本にとのお誘いの電話から始まった。
もちろん私はメジャーではなく、ただ「体験」のみしかないが、もう一度最後の挑戦と承諾の返事をした次第である。
これが、第1の「青天の霹靂」である。

2017年も押し迫った12月末、お世話になったドクターから、これも思いがけなく「医療接遇」の講師依頼が、外出先から帰宅した私もとにメールが届いていた。
一瞬、私に何故?、出来るかなと戸惑いました。
講師依頼を受けることは、その為に私が何倍かの準備を要求されることと言えます。
何処かで私を心に留めて下さった好意は、素直にお受けしようと。
年が改まって、医療スタッフの皆様に日頃の体験を通しての話を中心に話しを進める内に、医療の渦中に
身をおく立場である一方で、異なる私の目線に理解を示しているスタッフの表情が読み取れる。
これが、第2の「青天の霹靂」の霹靂でした。

さて第3は腰抜かす程の「青天の霹靂」が起こった。
年が改まった1月下旬に、約60年前に卒業した岡山の小学校長からのメールでした。
今年がPTA創設70周年記念に、2012年に幻冬社ルネッサンスから刊行した「笑顔の力」を手にとってくださって、「笑顔に秘められた力」についての講演依頼でした。
驚くと共に、いつかはそろそろ年齢も考えてご縁のあった先々には、ご挨拶をと思っていながら実現しないままでいました。
なかなか難しいテーマですが、折角の帰郷も兼ねたチャンスに、喜んで引き受けようとの想いが強くなる自分がいました。

奇しくも、期せずして幻冬舎から「笑顔の力」の文庫本の見本が届きました。
こちらも、ブログ用にと彼方此方でパチリパチリと写しまくっていました花の写真のうちの一点が表紙カバーをに採用されるという幸運に恵まれた。実は私も気に入っていた写真でした。

僅か5ヶ月の間に、思いがけないことが続きました。正しく「青天の霹靂」と言える。

これらを珍しく振り返るというか遡ると、自己顕示欲からも遠い存在になろうと決意していた私に、何という温かいエールが届いたのだ。

人は必要とされる時は、相手が声を掛けてくれるのではないかということ。
その為に、いつでも対応出来るように、準備して静かにその時のために準備しておくことを気付かせてくれた。今、私はこの歳になって、この一連の「青天の霹靂」によってまた教えられた。







2018年

3月

13日

馬鈴薯の芽

新馬鈴薯の季節を迎え、店頭からは昨年収穫された馬鈴薯は姿を消しつつある。
昨年収穫された馬鈴薯ならば、私が72歳当時は新馬鈴薯だったのではないだろうか。
世代の交代と同様に、存在感は薄れる筈だが、古く硬い皮の馬鈴薯の芽が、私には愛着を覚える。

農林水産省にも馬鈴薯の天然毒素と言われるソラニンやチャコニンに関する情報が掲載されている。
緑色の馬鈴薯の皮も注意事項とされているが、私が小学校、中学校時代を過ごした土地では、馬鈴薯の皮は記憶によれば緑色をしていた。
当時、母親から緑色のの馬鈴薯の皮は危険だからと、かなり分厚く剥いていたことを鮮明に憶えている。

台所には買い置いた数個の馬鈴薯からは、勢いよく余力を思わせる芽が出ている。
まるで何かを意図したかのような誇示すら感じる芽が出ている。

危険視されている芽にも、未だ命を守る為の証しであり、危険故に存在価値を増すとも言える。
本来であれば多くの芽を出している現実の危険性に気付く、伝える為ではないだろうか。
そのような危険要素の存在があってこそ、人は成長するのだと。

今、私は残った馬鈴薯の芽を取り除きながら、それはそれで良しと楽しんでいる。

2018年

3月

06日

73歳への脱皮

3月6日は私の誕生日であり、毎年二十四節気の「啓蟄」に当たり、そろそろ虫達も目覚め動き出す日と言われる。

昨年迄は啓蟄の言葉と自分を重ね、誕生日を迎えると何かしなければと言った気負った気持ちに自分が縛られていたと思う。
73歳になったからと言っても急に変化した訳ではなく、それは「薄紙を剥ぐ」かの様に私の周囲で思いがけない出会いにあります。
 
私は、ひたすら想いを文字にする行為が自分の居場所に気付いた時と偶然、嘗てご縁のあった出版社からの一つのメールが契機となりました。
2016年12月中旬「締切りまで、あと3日」と。然も私宛です。
背中を押された私は、そうかちょっとトライしても良いかもとその時の気持ちは自分でも不思議なほどに無垢の気持でした。
締切りの前夜、まるでこんなにスイスイと文字化しているではありませんか。
間も無く日付が変わる寸前、出版社宛に送信クリックした時の私は久し振りに心から清々しさを感じたのです。
結果は、受賞こそ逃しましたが優秀作品との評価でした。
これで良いのだと心が平静になった。
 
文字化と共に、道すがら花をパチリパチリと撮って久しくなり、季節を楽しませてくれる花もブログで活かせたらと想い、2017年5月からアメブロに「花とエスプリ」を開設しました。
毎日、花から色々な想いを呼び起こしてくれます。
Webに花に想いを文字化していたのですが、心身共に躓きお休みを余儀なくしていた私は心が痛んでいた為、アメブロでの再開を果たし、重荷を果たした想いにこれもこれで良いのだと。
 
11月中旬、出版社から 携帯に電話がかかって来ました。
ちょうど5年前に刊行した「笑顔の力」を文庫本として再発行してはとの全く思いがけない提案に戸惑いました。
数日間、5年前に病気の方から理解を示した方々の声が顔が思い出され、涙が頬を伝わって来た私にゴーサインを感じ、72歳迄の一区切りにしたいとの想いが過ぎり、数日後出版社に文庫本刊行の返事をしたのです。
 
またまた、これまでは医療ボランティア体験を機会があれば話して来ましたが、もう一つ気がつくと「接遇」というか機会も増えてきました。
確かに秘書経験もあった私に新たな機会が降ってきたのです。
本当に自分がキリキリしながら、「自己主張や自己顕示しなくとも、何処かで、誰かが見ている」と。
この歳になって実感として、言葉を噛み締めたものです。
 
文庫本化するに当たり、2017年12月14日日本経済新聞夕刊に掲載された森田真生氏が連載中のプロムナードに、情報学研究者のドミニク・チェン氏の言葉で「読むことは書くこと」と記載していますが、何故かその言葉を思い出す。
 
自分の本を再度文庫本化するに当たり、5年前の純粋に書き留めた自分に立ち返る良い機会にもなった。
72歳から73歳を迎えるには、私にはかなりの自己解析を求められていたのではないかと思う。
然し乍ら何一つ今日の誕生日を迎えるに無駄では無かったと言える。
さてさて、73歳を待ち受けているのは何だろう。楽しみに受け止める自分がいる。
 

2018年

3月

01日

長い自分との葛藤を終えて

2016年11月末から、私は自分を取り戻すために、ただひたすら黙々と続けたことがあります。

約四半世紀続いているボランティア活動が、現在の私の全てというか、もうこれ以上自分を見出せるものがなくなるのではという何とも言えない虚無感に襲われてしまいました。

 
まるで足搔くと言うか焦れば焦る程、泥沼に足を踏み入れてしまう恐怖感に、何とかしなければと思い続ける日々が続きました。
 
病気の方や、心に重荷や苦痛を持っている方に、私は話し相手といいますか、その方達の気持ちを私なりに僅かでも理解する様にと努めて参りました。
 
そうであれば、自分の事は自分で理解できるのではないかと思い直すエネルギーが残っていました。
よく言われていますが、「ケアをケアする」「自分を自分でケアする」ということです。
 
これまでの70年近い人生において、不思議ですが後向きに考える事ではなく、前向きに考えると言う生来の思考回路の方が強く頭をよぎるという性格が救いになっていました。
 
昨年8月には医療機関の検査数値に自信を持っていた筈の数値に変化が表出してしまったのです。
既に長年お世話になっています主治医は、今回の検査結果以前から案じていましたことが、今現実となって身体が正直に反応していたことに、私は白旗を揚げ、先ずは数値結果の原因と向き合う事でした。
 
悲壮感はなく、素直に受け入れ、数値改善に努める事が楽しみになっていたのです。
絶対に数値は改善されると信じて続けましたところ、何と僅か1ヶ月で、数値の改善が見られたのです。
そうなると、ますます励む事が更なる楽しみに 変わっていく自分がいました。
 
次に解決する事は、第三者的に私こと「淺野マリ子」を一度解体というか、分析してみる事を思い付いたのです。
 
元々、幼少期からの虚弱体質もあり、共同生活の経験が少なく、協調性に欠けてしまっているところがあります。
 
これまでに私は、当時としても編集時代から、小さいながらも経営者として、組織的な体験が少なく、常に自分で判断して動けば良かったという開放感が長い為に、ある意味でゴーイングマイウェイの世界で過ごして来ました。
 
自分が苦手な事や嫌な事と、好きな事を考えて見ましたところ、明確に解ってきました。
毎朝、必ず30分以上の時間をかけて新聞を読む事が長い習慣となっています。紙面から多くの私を活気付ける時間でした。
我を忘れる程に、のめり込み読んでいます時が正に「至福」の時間です。
掲載記事から私なりにその記事について頭には文字化されてきます。
その一瞬が何とも言えなく、自分を取り戻しています。
時間が許す限り、頭に浮かんだ事を文字化する時が、これまた第2の「至福」の時でした。
 
いつのまにiPadのメモには、次々と自分の想いを綴り続けていました。
そのメモの多くは、折々のことについて自分が思い付いたことを書き連ねていました。
いつのまにか、書き続けている時は、我を忘れて、楽しいという想いが占めています。
無心に新聞で得た知識を私が咀嚼して、文字化する事が最高に楽しいという事でした。
新聞を読む事から始まり、思いついた事を文字化する事こそ苦しみ、葛藤を終わらせる事に不可欠な要因だとわかりました。
 
数年前から、私の頭の一部を占めている言葉がありました。矢張りこれしか残らなかったのです。
それは、「星の王子さま」で知られるフランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが「書くことは考えることである」との言葉を残していますが、その言葉に辿り着きました。
 
私は「考えることが書くこと」を意味し、結論でした。
 
野心や自己顕示欲を満たすためでは無く、唯ひたすら考え書くことで自分の世界を欲していたのです。
それは暗く長いトンネルから抜け出す事を意味していました。
 
この葛藤は決して無駄では無いと思える自分がいました。
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