2018年

6月

27日

懐かしい地方紙が届く

夕刻故郷の小学校の校長先生から、懐かしい地方紙の「山陽新聞」と手紙が届いた。
校長先生の当日を気遣った手紙と、先日16日の講演会の記事が掲載されている紙面にはピンク色の付箋が付いてあり、校長先生の心遣いが汲み取れた。

帰郷後の帰京から私の中で、言葉では言い尽くせない複雑な心境が続いている。
今迄、帰郷するまで、正直のところ、故郷を思い出す機会はないと言ってもよかった。
ところが、東京を生活の拠点にしている私は、東京での日々が苦痛になる日々が続き、どうすることも出来なかった。

日を追って故郷の思い出が走馬燈の様に、私の中で駆け巡り続けた。
故郷の我が家の前には大人であれば飛び越えるほとの小川が流れていた。
私は、毎年その小川でメダカを網で抄くい取るのが楽しみだった。
今、あの小川は、メダカはどうしているのだろうかと思い浮かべていた。

そうだ、こんな精神状態の時は、断捨離をするに限る。
2年近く切り取った新聞の記事が積もり積もっていた。
偶然にしては、出来すぎているが、20166月3日の日経新聞の夕刊の記事が目に入った。
ドイツの動物科学誌に発表したもので、興味深く、記事の一部を紹介記載すると「メダカの雄は特定の雌に狙いを定めると、雌が他の雄を記憶しないよう周囲を泳ぎ回って視界を遮り、自分だけ好かれるため激しい闘いを繰り広げている」という内容だ。
その研究には愛知県岡崎市の自然科学研究機構生物学研究所と岡山大学の研究グループによるものだ。

さてさて、私は故郷のメダカのキューピッドだったのか、お邪魔虫だったのだろうか。

2018年

6月

16日

ただ今 我が学び舎の小学校

今年の1月に、卒業した小学校の校長先生から、飛び上がらんばかりのメールが届いた。
2012年に出版した「笑顔の力」に根拠があった。
61年前に卒業した小学校が今年でPTA創立、70周年記念の講演会依頼でした。

故郷を離れて、いずれは一度自分の故郷を訪ねる気持ちはあったものの、機会を逸したままであった。
こんな素晴らしいチャンスが来るとは、思いもかけず嬉しさ半分、素晴らしい記念日に私如きで良いのかと、気持ちは揺れ動いた。
校長先生が、一冊の「笑顔の力」に対する評価の「メール」に、私は校長先生の信頼に対し、喜んで引き受ける決心をした。
我が学び舎の校長先生に「笑顔の力」を評価されたことが言葉には言い表せない程、心から嬉しかった。

これまで、全てはメールを通して、今日16日を迎えた。
我が拙書「笑顔の力」に関心を示し、例え、卒業生とはいえ、恵まれ過ぎである。

「メールの校長先生」から、私の方が「笑顔の力」に圧倒される満面の笑みで迎えてくれた。
いつしか、都会の雑踏の中でともすれば笑顔すら失くし、渇ききった自分を見つめ直す素晴らしい機会が今後の私を成長させてくれる予感めいたものを感じた。

故郷という懐の全てが、無機質になっていた私の心を温め、溶かしてくれた。

当日、招待者にもう一人笑顔の力」の良き理解者がいた。迷うことなくその依頼有り難く引き受けた。
今日16日があってのことと、また帰郷出来るとは思ってもいなかった。

すっかり駅舎も周辺の風景も、61年前の故郷の面影は消しゴムで消されていたが、プラットフォームで列車を待つ間、懐かしい故郷の空気が流れてきた。
そうだ、私はこの空気の中で育って来たのだ。思いっきり胸一杯に吸い込んだ。
なんとも言えない、故郷の忘れ難い味を思い出していた。


2018年

6月

08日

喜と怒の日

 長い間相棒だったパソコンが、瀕死の状態になった。
恐る恐る腫れ物に触るように使っているが、いつ限界に達するか不安を抱えていた矢先、ネットで検索すると、これまでと同じメーカーのパソコンが一台在庫があった。

まるで、小学校のパワーポイントが終了するや、動きが鈍くなり、「お願い、もう少しだから頑張って」と願っていた。
小学校の原稿が終わるのと同時に、まるでこれでお役目を終え、私を見届けるような熱くなるパソコンに想いが頭を過ぎった。

61年ぶりに帰郷する私を送り出し、パソコンもひと段落後、また新しく故郷との出会いから新しく始まる何かを意図しているかのように思えた。
一方では、ピカピカのパソコンを楽しみに待つ気持ちも正直ある。

悲喜交々とした気持ちの続く中で夕食の支度をしていた。
感傷的になっている私は、突然のドアフォンに反射的に、警戒感もなく解錠を無意識にしてしまった。

NHKの受信料 について、既にデジタル化されているが、私は衛星放送の受信料が未払いとの説明。私は、確かに、NHKは民間放送には敵わない番組を認めるが、衛星放送を見た事はなく、存在すら忘れていた。

お決まりの規則と国民としての義務論を持ち出してきた。
昨今の物騒な世の中、相手が突発的にキレたらと、まあ仕方ないと認めた。
相手はホッとした表情に、変わるが、私は逆に無性に腹が立ってきた。

私の怒りというか納得がいかず、思い切ってテレビの廃棄を決めた。
寧ろ、スッキリした気持ちもあった。テレビがなくても、新聞がある。
元々、私の引き出しの多くは新聞によるものだ。更に断捨離ができたとと思えるほど、テレビに 未練はない。数日後、私の部屋からテレビが消えるのも近い。新しいパソコンの到着が待ち遠しい。

ともすれば、血圧が上昇気味の私は主治医から注意されそうな喜びと怒りの高低差の激しい1日だった。