2018年
10月
25日
木
何年前だろうか、通い慣れた車窓からの風景には大きな変化もある一方で、まだ残っている自然の中でも、肉眼では分からない変化が生じているに違いない。
現場には、既に面識のある職人は一人だけだったが、当時のことが懐かしく思い出される。
予想通り、ユニックを必要とされる位置だった。
既に、ユニックが用意され、ヘルメットもあった。
嗚呼、愛おしい我が子に再会した想いが駆け巡り、ヘルメットを着用した時、思わず涙を堪えるのに精一杯だった。
これまでも幾つかの現場で、職人さん達に支えて貰った。
細かい指摘にも、寧ろ、これぞまさに自分の活躍の場であり、気持ちよく
聞き入れて貰った。
燻し銀の様な素晴らしい「誇り」にこちらが根負けする程、頑張ってくれた。また、質問すると顔を輝かせて教えてもくれた。
6月の61年振りの故郷への帰郷に始まり、私の心の中で変化が始まっている事を感じながら、掴めない日々を過ごしていた。
また、久し振りのヘルメットとユニックから、何らかの予感めいた変化の時が来たと感じつつ、暮れゆく車窓を眺めていた。
2018年
10月
15日
月
今日15日から、新聞週間が始まる。
テレビを廃棄してから久しくなった代わりに、出掛ける前に新聞に目を通すのが以前に増して長くなった。
元々、強靭で健康な体に生まれていれば、新聞記者になるのが夢だった。
然し、そうはドッコイ思い通りにはいかないことは分かりながらも。
それならば、文章を書くことが好きでもあったので、文筆家になんてとんでもない野望に広がっていく自分を一方では冷めた目で見てもいた。
テレビ廃棄を契機に、新聞を読むことがどんなに私の緩和剤になっている。テレビも新聞も先ずは聴覚、視覚からキャッチ出来る同類のものである。然し、次の段階で私には明らかな違いが生じる。
加齢もあり、一瞬の映像を見逃してしまう。ところが新聞であれば、何度でも知識は逃げない。
予てから私の知識は新聞から入手していただけに、また元に戻って今、新聞を読む時、駄文を書く時が至福の時である。
2018年
10月
01日
月
東京都心に初の猛暑日が出た日から、私はある想いを心に秘めて、新たに月曜日から金曜日まで、緊急の予定がない限り、これまでの週に2日ないし3日のボランティア活動を、月曜日から金曜日迄再開した。
「量より質の高いボランティア」という考えが私の基本姿勢である。
一番悔しく思うのは、「ボランティアさんだから、仕方がないのよ」と言われる事であった。
また可能であれば、活動日を決めることによって、ある意味でお馴染みのボランティアさんがいる事で、病気の方は安心するのである。
ボランティアを始めた時、私が大変お世話になりなった元院長先生より、
「外来のスタッフが激しく変わることは、好ましくないと思っている。
出来れば時間の許す限り、都合をつけてくれると助かるのだが」と私に
遠慮がちに、自分の病院に対する気持ちを察した。
それ以来、出来るだけ恩のある元院長先生への恩返しとの想いで続けた。
約12年間近くは、講師依頼とか、体調不良でない限り頑張れた。
嘗て、「体験は力なり」に始まり、「継続は力なり」という私の活動を評価してくれる人も増えた。
私は専門的に長年学習や資格を取得しているわけではないし、また素人目線の立場で、目線を病気の方に合わせて接したいと言う気持ちしか持ち合わせていない。
予感めいた想いが脳裏を過ぎった。時間に余裕が出来るのは、恐らく今年の夏の期間から3ヶ月を逃すと、今後は難しくなるなと感じていた。
始めがあれば、終わりもいつか訪れる為に、そろそろ自分なりにある程度の時間を持って準備しておきたいと思うようになっていた。
今年の暑さは格別である。健常人すら身体に、精神的にも疲労感を覚える程の厳しさである。
兎に角、心に封じている想いだけは達成したい一念だった。
拠り所のない苦しみに対し、何処かでひたすら秋を待つ気持ちが宿り始めていた。
一方で、可愛い少女との出逢いに、母校の子どもたちに想いを重ね合わせるように思いがけないプレゼントの機会に、笑顔の力で乗り越える日を迎えた。