2018年
11月
29日
木
私の 弱点は、人から頼まれ仕事に「ノー」と言えないことであった。
自惚れかもしれないが、信用の上に成り立っていると前向きに考えて、き厳しいなあと思いながらも、いずれ自分の為になると思って引き受けている。
11月までに 三ヶ所からの依頼に図書館に缶詰の状態で、資料調べに忙しい毎日が続いていた。
お陰様で期限内に済ますことが出来た。
これまで長年締め切りに追われた生活をしてきた経験上、至極当たり前のことである。
また、相手がアップアップしている状況下で、依頼されれば、縁の下の力持ちとして、信頼を裏切らない様にと張り切ったりするお調子者でもある。
依頼した側の感謝と安堵の表情に、素直に良かったと思う。
これは私がしたのよなんて、自己顕示欲の欠片もなく、寧ろ相手の立場に配慮して 「貝」になる様心がけてきた。
たとえ問題が発生しても、決して影響が拡大しないように、穏やかに自己責任で改善、解決を図る様に覚悟をしている。
私は物心つく頃から、母親から「貴女を信用している人からの依頼は、自分の責任を取るぐらいの勇気を持つ様に、また、解決できないことは貴女には与えない」と教育されてきた。
今、メールに添付という便利な方法で、期限内に間に合ってホッとした。
期限が偶然にも重なっていたことも厳しかったが、また新しい知識が増えたと、達成感があった。
2018年
11月
17日
土
つい、アイパッドやスマホに「設定」の案内が出ると、夜間にお任せすることが多い。
ところが、ところである。翌日、私の命とは些か大袈裟かもしれないが、「ブック」にPDF として保存していた講義用の資料がすっかり消えている。
頭が真っ白になるとはこのことで、アップルケアセンターのオープン迄の時間の長いことにイライラしつつも挑戦を試みる。
アップルケアセンター開始の9時に電話をかけて、大変困っていると訴えた。
慌てているので、説明すら覚束なくたどたどしくしい説明になるばかりだが、センターのナビゲーターは、私の年齢と訴えに、何度も幾つかの試みをしてくれるものの、解決は出来なかった。
私の為に費やした時間は、既に、ランチ時間を過ぎていた。電話を通して察すると、まだ若いと思われるだけに、困ってはいるものの、そこは歳の功である。
「お腹空かない、ランチタイムになっちゃったわね、大丈夫?」と
案じるも「いいえ、大丈夫です」と頑張ってくれる。
結果的には、過去のデータを手動で作業するという結果に終わった。
改めて、今回のことは私にとっても貴重な今後の警鐘になる一方で、
「ケア」と簡単にいうべき言葉では無い事を学ぶ機会になった。
災い転じて福となった次第で、午後からコツコツと手動で頑張った。
その後、「設定」の案内は放置している。
2018年
11月
09日
金
私の小学校時代はまだ「学校給食」がなく、お弁当持参でした。
校長先生に今度の帰郷の際にとお強請りをしていたのです。
実は、今回の帰郷には我が母校で初めての「学校給食」も楽しみでした。
その日のメニューは、郷土料理の「ばち汁」もあり、そのほかに「鶏の唐揚げ・ごぼうサラダ・タルト・わかめごはん・牛乳」と素晴らしい学校給食に感激して、折角の初めての「学校給食」の写真を撮るのを忘れてしまった。 未だに残念に思う。
孫の様な2年生のクラスで、味も美味しく、量もたっぷりで、思わず周囲の子どもたちを見ていると、「完食」です。
完食後は、可愛い後輩の子どもたちから片付け方を教わりながら、食後のお喋りをしました。
非常に明るく、素直で、遠慮することもなく、元気に話しかけて来ます。
楽しく、私をもてなしてくれたランチタイムでした。
私ももう一度小学生に戻りたくなったと帰京の車中で、純粋で明るい子どもたちと、あの素晴らしく澄んだ青空を思い出していた。
2018年
11月
08日
木
6月の故郷の講演会後、市の方から民生委員にも「笑顔の力」ついて話をとの思い掛けない依頼を受けていた。
今、午後の新幹線の中で、6月で故郷に帰ることは無いと、それなりに心の中で別れを告げたつもりだった。
まさかその5ヶ月後に、再び帰郷するとは思いもしなかった。
民生委員について調べてみると、何と発祥の地だとわかり、昨年で100周年もの歴史のあるボランティア活動と知った。
昨年、アキレス腱周囲炎は「点字ブロック」によるもので、岡山県民の発明である。
お話の機会には、以前も書いた記憶があるが、下調べに準備を要することが、今回を以っても明白である。
担当の方から素敵なタイトルに、思わず力が入る。
『「笑顔の力」を「地域の力」に』 サブタイトルは「心に寄り添うコミュニケーション」について、お話をしました。
コミュニケーションについては、体験が一番と話を進めていると、委員の皆様の頷く表情に変わってきます。
やはり、民生委員児童委員の皆様も同様の体験をして、何かヒントをとの
期待が私にも伝わって来ます。
この研修会の前に、調べてみると、ちょうど私が小学校を卒業する年に、
天文台が出来るということでした。正式に決定されたのです。
話が前後するが、研修会は翌日の8日の午後の予定で、午前中に天文台のある地を案内してくれるとの申し出がありました。
「晴れの国 おかやま」に7日の夜半から雨が降り始めたのですが、私は晴れ女だから大丈夫、絶対晴れると啖呵を切った。
翌朝、気になり外を見ると朝日が差し込んでいます。
開口一番「淺野さん、矢張り、晴れ女ですね」
天文台のある山から見上げた空の美しさに、私は圧倒されていた。
こんな綺麗な青空が 、我が故郷にあったとは、促されるまで目を離すことが出来ない程の自然からの素晴らしいプレゼントでした。
澄み渡った抜ける様な青空を心のカメラにも永久保存しようと思った。