2019年

1月

30日

「出る杙」は何センチか

昨年から健康診断を3度変更をする事情が出来てしまい、とうとう担当者から注意される。
「明日迄ですから、変更はこれで出来ませんので宜しくお願いしますね」
「今年は何度も変更ばかりして、ごめんなさいね。必ず伺います。どうもありがとう」

最近身長が毎年、僅かに縮んでいる。友人達からも同様な話題になる。
確かに、身体状の現実はそうであるが、ある雑念が頭を過ぎった。

此の所、私は「出る杙は打たれる」というか、ターゲットにされている感が否めないでいる。
間も無く一つ歳を重ねるが、振り返ってみると「出る杙」になった経験の記憶が無い。
手元の三省堂の新小辞林の辞書で、「出る杙は打たれる」の意味を調べたところ2種類あった。
一つは、『人よりもすぐれている者は、とかく憎まれたり、いじわるされたりする』とある。
二つ目は、『差し出がましいふるまいをする者は、とかく他からこらしめを受ける』とある。

二つの意味から、前と後の部分について該当するのは、後の部分に近いことは否めない感がある。

然し、これが私のキャラなのか、前の「人よりすぐれている者」「差し出がましいふるまいをする者」と受け止めた方が、自分自身が幸せに思えるし、感情的にもならないで済むからだ。
「出る杙は打たれる」を自惚れと承知の上で、私は前の部分と決め選択した。

そうすると、私の『杙』は何センチなのだろうか?
健診では毎年減少傾向にあるのだから、この見えない『杙』が補ってくれているのかもしれない。

2019年

1月

23日

ターニングポイントが始まった日

一年前の午後、61年前に卒業した小学校の校長先生からのメールから、今日で丁度一年を迎える。
経緯は一年前のブログにアップしているので省略する。

そうだ、私にも故郷があったという想いを呼び起こしたのである。
校長先生というと、私の年代では遠い存在のイメージが強かった。
然し、メールからは、私が学んだ時代と全く違っていた温もりに溢れた校長先生の意図が伝わって来た。
迷う事なく、承諾の返事を送信した。

その後の私は、6月の帰郷予定迄に一刻も早く故郷の学び舎の小学校を知りたく、グーグルアース、グーグルマップ、インターネットと出来るだけの検索を始めた。

幸いにブログで、小学校の克明な発信に、臨場感を共有をしていた。
それがいつしか楽しみに変わって行った。
今迄、すっかり忘れていたと言っても過言ではない故郷が身近に感じている自分に気が付いた。

同じ日常生活に、数年前から時々閉塞感に襲われていた私は、校長先生のメールに新しい自分を見いだせるかも知れないと、密かな期待を感じていた。

この年齢になって、また、ターニングポイントになろうとは、思いもしなかったが、一年前を振り返って、大きく私に変化が起こる始まりの日であったと言える。

それは長く封印して来た自分の一部から解放された日でもある。

2019年

1月

15日

私が想う「ボランティア」

毎年、1995年の「阪神淡路大震災」の前後に、薬学部の3年生を対象に「医療ボランティア実習」の講義を務めている。

日本にとって、「ボランティア」が根付いた契機が、残念ながら多くの犠牲者を出した「阪神淡路大震災」から、初めてと言っても過言ではなく「ボランティア」の存在がインプットされたのである。
と同時に「心のケア」の必要性を認識された年でもある。
自然災害を通して、日本は1995年が「ボランティア」と「心のケア」の元年と言われる。
その後、東日本大震災には多くのボランティアの参加に至り、近年の異常気象による災害に、ボランティアの力が必須な存在に育ってきた。
ところで、私はボランティアの中でも「病院ボランティア」が始まりで、仮設住宅に「心のケア」という立場で関わった経験も持ってはいるが、私の場合はボランティアでも「病院ボランティア」である。
約、30年近く関わってきたことには、自分でも驚いている。
然も、「ボランティア」は自ら思い付き、自発的な意味を持っているが、私は母親の入院先で、同室の方に「湯冷まし」をして差し上げていた場面に、当時は看護婦長さんから「病院ボランティア」の依頼に至っただけである。
恥ずかしい話ですが、「病院ボランティア」という言葉も何も皆目知らなかった次第である。
今想うことはこの「湯冷まし」にボランティアの原点があると思っている。
何気なく、相手の気持ちを察し、相手を思い遣る「優しさ」をさり気なく自然体でするものではないか。
医療者とは異なった、ボランティアならでの素朴な「優しさ」の心を言葉であったり、行動であったり、臨機応変に病気の方に向き合うことだと想うだが。
病院ボランティアも時代の流れを感じる昨今ですが、私は「優しさ」こそ、ボランティアにとっては真髄と想う今日この頃である。

2019年

1月

09日

「初めまして」は「始まり」


間も無く私は、後期高齢者の一歩手前の74歳になる。

成長過程を含めこれ迄に、私は数え切れない程、生涯の場で「初めまして」と、挨拶をしてきただろうか。


「初めまして」と交わすまでの時間経過が、様々な想いや期待を持って待っている時間が堪らなく楽しみである。

些かな緊張はあるが、それ以上に、初対面で今後の人生に広がりができるからである。

その後からが、全身全霊をエネルギーに変えて、信頼関係を築くことにある。


成功に繋げるには、何と言っても自分が努力する事が前提である。

信頼を得るためには、「初めまして」が言葉通り「始まり」なのである。


2019年

1月

01日

新年の宇宙ショーに想いを込めて

多くというより、殆どの日本人は新年の日の出への思いが強い。
日の出には神々しさを感じるからだと。漏れ無く私も昨年迄は、その一人だった。

テレビ中継を通して、日の出の瞬間を緊張感で待っている時間が、新年ならでの楽しみ、喜びでもある。

テレビを処分したこともあるが、私の中には何時しかベランダから見えるキラキラと瞬きを繰り返す「星」に心が動いていた。

新年の早朝、漆黒の空に、偶然としか思えない冴え切った「月と明けの星」が繰り広げる宇宙ショーに魅せられた。
これまで関心を持っていなかった宇宙の神秘的な美しさには、寒さを忘れ見続けていた。

恐らく、この年齢に達して初めて新年早朝の出来事に出会った。
数ヶ月前から、私の心に蠢いていたものが払拭されたという納得に近い感情が走った。

もう、モソモソ迷う事なく、「想い」の道が用意されていた。
私が自問自答していた凡ゆる「想い」から、前進する決意へと導く朝になった。