2019年

10月

30日

青空への拘り

これまでは故郷に向かう新幹線の車中で、ブログを書いて居たが今日は東京への帰路の新幹線の車中で書いて居る。

今回の往路は、会を重ねて第4回になるが、一つの大切な意味合いを持つ会議である為に、私も重要な問題に必要な資料を抱え、極力頭にインプットして居たからである。

一方で、故郷に帰る喜びが大きく膨らんでくる。
予め、今日は正に「晴れの国 おかやま」と確認済みだが、わが故郷の地の「あさくちブルー」に想いを馳せて仕舞う。

何故、青空に拘るのかと思われても致し方無いと自認して居る。
つまり、4日のうち3日は「晴れ」とのデータが示す様に、登校時や外出時に傘のお世話になった記憶が無きに近い為、未だに雨は苦手だし、気持ちが塞がって仕舞うからである。

先ずは見上げた空が青空だと思わず背筋が伸びて、今日も頑張るぞと前向きになるからである。皆様は如何でしょうか。

ブルーには明るいという意味を持っていると言われているそうだ。
ある業界誌で、日本人はブルーを使用した商品は売行きが良いとの記憶もあった。

2019年3月8日の日本経済新聞に「オフィスの天井 青空に」と記事によれば、快適な職場環境をつくるべく、オフィスや店舗向けに照明などで提案され、新たな働き方改革を模索している企業が紹介されて居る。

なまじ私の青空への拘りに強い味方を見つけ、これまで自分の独断と偏見かと案じていた体験について、お墨付きを戴いた様で大いに気を良くしている。

拠って、特に故郷の駅に着くと先ず空を今日も見上げた。

夕刻まで青空は裏切ることなく、案じて居た母校の小学校の会議も通過点の一つをクリアして、次回に繋がる成果になったのではないかと思って居る。

復路の新幹線の車中で改めて「青空」の力を噛み締めて居た。

2019年

10月

23日

努力を信じて

日頃はあまり振り返らない性格だが、今回は例外に近い程ナーバスになって居た。
今から考えても既に自分自身で、此れは不気味な前触れの様な予兆を全身から感じ取って居た。

今年の夏は異常気象だとか何とか言い逃れをしても変なものは 、変なのである。
主治医も案じて、思い当たる限りの検査を受ける様にとの指示で、暫くぶりに検査に明け暮れる日々が続いた。

最後に検査結果が出たのは、今日、23日であった。
自分でも、今回の原因は重々思い当たるだけに、自分の知識の範囲の中で努力出来るものが何であるかも見通しが付いて居た。

何度も取り上げている食生活が原因である故に、自力で食生活の改善に努めた。
それは、半端では無く、疲れた時などは自炊をするのは辛い時もあったが、歯を食いしばって耐えた。.
その間は、人様との付き合いにも失礼を承知で、極力避けて居た。
一切、加工品を買わないで、主に根菜類をメインにした。
日を追って、手の荒れが酷く、包丁研ぎもすると言った当たり前と言われれば、それまでだが、正直私は久し振りなのである。

いつしか気がつくと曽て故郷の食材を買っているのであった。
友人が、最近、田舎の祖母が作ってくれた材料を知らず知らず買っていると話してた記憶があるが、今の私は全くその通りの食生活をして居た。

如何に私の体質に合っているかというのが、検査前の体調不良から徐々に薄皮が抜ける様に無くなって来たのだ。
もう棍限りやるっきゃ無いと、日頃の鼻っ柱の強さも結果的には、効果に繋がった。

折しも運良く健診の案内も届き、ソロソロ努力の結果が出ても良いのではとの想いで居た。
矢張り、努力は報われたのである。

唯残るは、一病息災から新しく仲間になった二病息災は、経過措置なので、恐らく年に一度はスポット的に検査をするだろうと、これは主治医の指示待ちであるが、素人判断だが、食事療法で状態は改善傾向にある予感めいたものを感じている。

何れにせよ長い夏だった。

2019年

10月

19日

今日しかない

最近は自分の健康管理とそれに伴う話題に拘っているのが、自分でもよく解っているが、確かにその効果は顕著である。
健康面には、自分で気を引き締めていけば良いとの結論に至ったが、もう一つ数年前から何時も頭の隅から離れないボランティアをどのタイミングでピリオドを打つかという想いがあった。

幸いに、ボランティアに代わるべき生き甲斐がスタートしているが、組織の中の小さなコマに過ぎないが、相手の立場も考えると、結論は出ているがなかなか切り出すに時間が掛かっている。
大好きな断捨離であれば自己責任の範囲で片付ければ良いのだが。

これまでに、アッサリと「ボランティアさんだから仕方ないわよ」「ボランティアなんだから、そんなに責任を感じなくても」とか、恐らく私を気遣ってと察するが、そもそも、ボランティアは自らの意思で希望し、それに対して自分が責任は持つべきと考えている。

それ故に、相手に自分の意思を伝えるのも、責任を持たねばと思って、ついついモヤモヤが続いていたが、全く霧が晴れた様に突如として「今日しか無い」と思った時には気が付くと、文字化していた。
こんなにスンナリ進むものを今まで何をしていたのだろうと、自分の変化に自分自身が呆れてしまった。

何と憑き物が落ちた様に、スッキリと思い煩う事から解放された安堵感に、今夜はゆっくりと美味しい食事でもと誘惑が、脳裏を掠めたが、直ぐにブレーキをかける力が働く迄に、ある意味で体力の回復により意思も強くなったと思った。

色々な渦中にいる時は、どうして、何故とか、行きつ戻りつしている時間がともすれば無駄に思えるが、決して無意味ではなくその時の経過によって、熟成されていくのだと、改めて学んだのである。


2019年

10月

08日

穏やかに過ごせる幸せ

二病息災に始まった私の心身共にライスタイルの見直しから、彼此1カ月半が過ぎた。
何度もトライして挫折した食生活のお返しが、幾つも思い当たり今回は流石にズッシリと応えた。

確かに何か分からないが、いつも頭から離れない問題を抱えている様な、今思うと私の中にライフスタイルの一つにボランティア活動の先行きというか、将来に自分の落ち着き先を数年迷い続けて来た現実が、心身と共にシグナルを発していた。

よく世間でストレス解消に「食」に影響を及ぼすと言われているが、正に私の場合は「食」を疎かにした結果だと確信していた。
ツイツイ簡単に手に入る便利さもあって、自炊をする気力が失せていたという段階で、気付かなければいけなっかたのである。

その結果が「二病息災」という診断に自分も納得する日常生活を送っていた。
持って生まれた気の強さが湧き上がってくるという性格を持ち合わせている私は、先ずどんな時もどんな時も、全て自炊に切り替えると、決心、不思議に日を追って心も体も軽くなってきた。

その効果は自分でも驚くほどの変化に、いつしか楽しさを覚える日々が続き、騒ついていた重荷が物の見事に軽くなっている。

長年の色々な拘りもスッカリ頭から消えて、寧ろ今迄より実に軽やかに発想の転換に、思い煩らう事が無くなったのである。
こうしたスピーディな進展によって、心穏やかな生活を送れる日々を、今、私はを噛み締めている。

2019年

10月

01日

10月を迎えて

10月が私の中ではとても待ち遠しく思っていた。
9月末で、私の中では全てのこれ迄に様々な体験や経験が無駄ではなく、寧ろ何処からとも無くパワーを感じていた。
つまりは、10月から何度もリセットを繰り返した9月迄で、すっかりクリア出来た自信に近いものを掴んだ想いに満ちて行くのが、心身ともに確かに前向きになっていると思えるようになった。

10月は「衣替え」の季節と言われたが、最近の温暖化でいつしか忘れ去って仕舞う運命にあるのだろうかと、残念に想うが、私には気候に左右される事なく、正しく「衣替え」と言うかリニューアルが出来たのである。

私に揺るぎない決心というか、結論に辿り着く迄には先月末帰郷して、母校の会議に参加した際に、将来を担う子ども達への、会議の席上の委員からの、熱き想いが一言ひとことに溢れていた。

故郷をこよなく大切に思う正しく故郷愛と言った一言では、済まされるには重みを感じた私は、昨年6月からに帰郷の機会から、その後も帰郷の都度に故郷の温もりを感じていたが、いつしか私の心に大きな存在を占めるに至ったのは、今回委員の一員として参加した時、迷う事なく私もこれ迄に培ってきたものを
母校の小学校の未来の為に努めようと決意が結論に変わったのである。

更に、その決意、結論を決定付けたのは、翌日の小学校に隣接する三年保育の「こども園」の運動会で、元気に一生懸命頑張っている故郷を担う子ども達を、私は目の当たりににして昂揚感と責任を感じていた。

小さな小さな子ども達の姿に、私もこの子ども達の為に我が故郷の為に頑張りたいとの想いに溢れて来る自分に、此れで良いのだと強く思う迄に至った経緯である。

来年は年長組が隣接する母校の小学校に来春は新しい仲間となると子ども達である。

もう迷う事なく、故郷の空「あさくちブルー」の爽やかさが心の中に広がっていった。