2020年

2月

29日

有効に活用

今日は4年に一度の閏年で、しかも土曜日だ。
何か一日得をした様な気持ちになった。
未だ目標としている予定が、ヘルペスによって予定がすっかり遅れてしまった私は、抗生物質の効力を味方に、パソコンと向き合った。

インストールした2019を一刻も早くマスターしておきたかったからだ。
然し、体調が万全でない為に思うように進まない。
気の所為か、おでこに手を当てると熱っぽく感じ、有効に活用しようとの勢いは萎えるばかりである。

直ぐにでも最低限必須とされるメールの送信だけはクリアしておかなければ、困るのは私である。
何度か気力をリセットして、まぁ何とかなる所迄、漕ぎ着けた。

確かに、高齢者になると例えば新しい電化製品に中々使い熟すまで時間が掛かると、ボランティア実習講義で学生に、高齢者を理解する上での心得として話して来たが、自分が 当にその範疇に入るとは。
個人差があるが、不思議と生来の苦手とするものは、矢張り苦手なのだと妙に納得していたのだった。

果たして閏年の今日を有効に活用しただろうか。
次の4年後は、完全に後期高齢者である。
月が変われば、待ってましたと後期高齢者になるその前に僅か残った前期高齢者に終わらせたかったなあと想った。

先ずは新しい相棒との付き合いが始まるわけで、良き相棒にするには私次第である。

2020年

2月

28日

衝撃のメールが届く

前夜27日、安倍総理から、小学校を始めとする全校休校のニュースに来たるべき事態が来たと聞いていた。

その翌日、楽しみにしていた母校の小学校も春休み迄の休校に、卒業式も来賓者を除くというメールが校長先生から届いた。

もしかしてと何と無くて見えないウイルスの恐怖が、現実化し、母校に迄及んだ。
未だ、明確な姿が見えない新型コロナウイルスに、唯、安全策としての対応を受け入れるしか無いのである。

既に予約していた宿泊先もキャンセルし、非常に脱力感に襲われた。
折角の楽しみが無くなった何処にもやり場のない怒りが、体調にも繋がった感が拭えない。

仕方がないと言えばそれまでだが、卒業式を迎える後輩の気持ちに想いを馳せると、
 何とも残念だと思う一方で、出来れば今回の現実を受け止め、更なる成長への道として前向きに乗り越えて欲しいと願っている。

終始、メディアからの情報に気が滅入りそうになるが、何れにせよ、未だ先行きが見えない状況において、私も平常心を持って自分の体調に心して、故郷に帰れる日を待つしか無いのである。

日本人にとっては、如月から弥生は、春の訪れを楽しみに待つ日本独特の季節である。
別れと新しいスタートの、節目とも言える各人が様々な想いを経験する時である。

一日も早い終息を願うばかりである。

2020年

2月

26日

ヘルペスに屈する

月に一回の主治医の診察日で病院に出掛ける。
流石、長年の主治医である。
マスクをしていても、数日前から全貌を見せたヘルペスを見逃さず、此方も毎月、両足裏の硬い底豆を除去して貰っているので、ヘルペスも加えて診察後、抗生物質を服用するという結論で、取り敢えず一件落着といきたいと願っていた。

何故なら先週末に、母校の卒業式の招待状が届き、急に元気になって実はヘルペスも忘れる程に、来月19日の卒業式が私に元気を取り戻してくれた。

だが、皮膚科の先生に拠れば、放置出来る状態では無いそうだ。
主治医からは、休養をシッカリ取る様に、そして今度はいつ故郷に帰るのと、最近は必ずといい程、私には故郷がドクターーの処方箋と同様に、メンタル面の処方箋の然りである様だ。

約一カ月で、母校の未来ある後輩の卒業式が待っている。
精神的には、一通の母校の封書で気力は取り戻せたと思ったが、体力は残念ながら未だ悲鳴をあげる状態であった。

2月22日の日本経済新聞の「カラダづくり」の記事に拠れば、パソコンやスマホ(私はタブレットも含む)の使い過ぎで、脳が過度に疲労する「脳疲労」という症状に類似しているが、記事に拠ればh「働き盛りの30~50代」とある。

そうであるならば、私はオーバーワークと言えば聞こえが良いが、加齢に併せて能力オーバーと言えるに違いない。

いずれにせよ、ユックリ休養をとる必要があるそうだ。
それ故に、デジタル終活ならぬデジタル整理を始めたのであるが、これも今の私には脳疲労に繋がるのかもしれないのである。
然し、今は、考え無いようになって脳に言い聞かせるしか無いか。

2020年

2月

20日

残り少なくなった日々

目前に迫りつつある後期高齢者迄には済ませて置きたい目標がある。
可能ならば、出来得る限りデジタル終活というか、デジタルの活用を極力少なくしたいとの願望が日を追って強くなる。

根っから枠の中に縛られるのが苦手な私には、時々かなりの精神的負担になっているが、未だデジタル社会とは縁が切れそうにも無い。

それならば、現在のマイクロソフトオフィス2010を思い切って2019にと、家電量販店に出かけ購入した。

また、昨年にWindows7から10に、そして今回の2019と、能力以上に苦手を増やしたのである。
もう少し必要性を残しているのでと、思い切った勢みに体調に拒否反応を示すシグナルが出始めた。
何時もの様に、また喉に違和感を覚え、風邪かなと薬を飲んでも、一向に改善の気配は見られず、何とも言えない倦怠感に襲われるも、能力オーバーに依るものと言い聞かせて鞭打ち乍ら頑張った。

やがて右の頬にこんもりと大きく赤い数個の斑点があらわれた。
ここ数年影を潜めていたヘルペスが出現した。
遂に蓄積していたストレスが限界点に達したと分かり、もしや見えないウイルスである新型コロナウイルスではと、神経質になっていただけに、安堵感もあり、素直に共有する生活を始めた。

日中は気力で凌いでいるが、夕刻に なると平熱にも拘らず、ダウンしてしまう。
横になって居ても、頭の中では、目標達成に忙しく様々な想いが駆け巡り寝付けないで
気晴らしにと「ラジオ深夜便」も効果なく、夜が明けてしまう。

それに引き換えて、ヘルペスは勢いを増している。

2020年

2月

17日

父親を困らせた思い出

先週母校から帰京後、何時も必ず新聞に目を通すのが毎日のルーティンと以前に書いた記憶がある。

未だに関心のある記事をつい、切り取って役目を果たした様な悪い習慣が治らない。
母校の校長先生から「笑顔輝け」という学校だよりに、私はそのブログを共有するのが、とても楽しみである。

そういえば、今年で二回目の「漢字検定」が、今月8日にあった記憶があった。
そこで、昨日16日の日本経済新聞の文化欄に、感字学者の阿辻哲次氏の連載で「遊遊漢字学」という記事に対して私は、嘗て父親に同じ類の質問をした。

氏の記載に拠れば、小学校の校長先生からのメールで、校長室に来た児童が「馬や象や羊にはどうしてケモノヘンがつかないの」とたずねられたという思いもかけない質問に出くわしたという。

実は、私も突然、同じ様な質問をした記憶を思い出した。
 虚弱体質の私に、父親は私に、いわば母校の漢字検定ではないが、漢字に対する宿題というか、夕食時に毎日課していた。

前後の経緯は忘れているが、突然、父親に「猫や猿は獣偏なのに、犬には付いてないのか」と質問した。

父親は仕事が終わると、必ず、毎晩晩酌をする習慣があった。
盃に酒を注ごうとした時に、私は気になっていたので、さらりと質問したのだが、銚子を持つ手が 一瞬、固まってしまったのである。

父親の表情が、まるで苦虫を噛み潰したような、何とも不愉快な顔付きになった。
私は、父親を困らせる様な質問をしたとは思えず、父親の変化が理解出来なかった。

然し、長き時を経て、昨日の新聞で理解出来た。
母校の漢字検定から、亡き父親との思い出を今は懐かしく思い出したが、さて父親はどう思っっているか聞きたいところだ。

2020年

2月

14日

バレンタインディは母校で

ここ数日、何か消化不良が続いていた。
ところが、運良く新神戸で嘗ての仕事で出掛ける機会に、思わず、ラッキーと心で叫んでいた。
新神戸から、故郷の岡山迄は近い。
これぞ、正しく「天の配剤」と言える。

然も、バレンタインディとくれば、母校にチョコレートを持って帰ろうと思うと、まるで消化剤を飲んだ様に、スッキリした。

岡山から在来線の山陽本線に乗り換えると、もう心は母校の空が気になっていた。
毎回のことだが、母校の鴨方駅迄、車窓から空ばかりを見上げている。

賭け事や縁担ぎには拘りを本来は持たない性格だが、故郷に帰る時は何故か強い拘りを持ってしまう。

車窓からずっと空を追いかけ、改札口を通過すると、先ず、空を見上げるのが、帰郷時のルーティンになっている。

今回も、「あさくちブルー」の青空が、都会の日々に疲弊がちの私を包み込む様に迎えてくれた。

母校には、かなりの年齢差の我が後輩が、元気に私に話しかけてくる。
実はこの青空の様に屈託のない明るい笑顔が、何よりも私には堪らないのである。

この母校の温もりをタップリ吸収しリセットして、また帰京するというライフスタイルが続いているが、既に私は次回の帰郷が頭を過っている自分がいる。

さてさて、次回の帰郷が待ち遠しく楽しみである。

2020年

2月

05日

メークインと鈴蘭

前日の夜からの体調に不安を覚え、診察を受ける。
主治医より、案じて症状は見られないとの結果に胸を撫で下ろした。
唯、最近、私の長所であり、欠点でもある、「ノー」言えない事情というか、見るに見兼ねて、自分のリズムを省みないで、突き進んいる状況が続いている。

チョット疲労感を感じ始め、脳裏に後悔が宿り始めていた。
流石、主治医は、私の生活に支障をきたし始めているのを見透かし、一言「自分を大切に、頑張るのも良いけれども、折角順調になった状態だから、疲れない程度にね」

まさに「どんぴしゃり」である。
もう一度今日から、電波時計では無いが、忠実にリセットしようと。
先ずは、食生活の改善からと、帰りにスーパーに立ち寄る。

野菜売り場で、芽室のメークインというラベルが目に入った。
思い掛けなく「芽室」という産地名に、懐かしさで、迷う事なく買い物かごに入れた。

懐かしさというのは、嘗て、銀座で美術の仕事をしている時、偶然通りすがりに「芽室町」の小豆を使ったお団子を買い求めた。
赤いダイヤと言われる小豆は、味といい、粒の大きさといい、コクがある満足する「粒あん」だった。
早速、芽室町の生産者宛に、「とても美味しかった」と葉書を認めた。

其の後、確か初夏だったと思うが、芽室町から、私宛に届いた。
実は、私は芽室町への葉書については、すっかり忘れていた。
何だろうと包みを開けると、透明のケースに、鈴蘭の花に令状が添えてあった。

暫くは送られて来た遠く北海道の「芽室町」からの鈴蘭の花に、純粋な生産者の気持ちに、胸が熱くなった。

帰宅後、往時を思い出しながらメークインの皮を剥いていた。

2020年

2月

04日

立春から一ヶ月先を見据える

暦の上では今日は立春だが、朝から体調の所為もあるかも知れないが、寒さを感じ、自宅に戻ったのが、8時過ぎになった。
帰宅後、体を温めるも一向に改善しない。

残すところ、一ヶ月後に、私は後期高齢者の仲間入りをするので、その前に出来るだけ整理しておきたいとの想いが強く、一区切りを付けておきたいとの気持ちからである。

出来れば、ソロソロ自分が望んでいるだけにしたいという想いがある。
寧ろ、早く後期高齢者になりたいという気持ちもあり、そうすれば解決すると言った錯覚すら覚えるが、実際、最近の私は計画が頓挫している。

こんな筈では無いと思うのだが、現実は歴然と明白である。
去年、長年働いてくれたアナログの目覚まし時計がダウンして、電波時計に切り替えて、気が付いたのは、一日に8回、時間調整をすると、問い合わせたメーカーの回答であった。

今からでも遅くは無い、毎日目標に向かって励まなければ追い付かないのが現状である。
然し、体調がすぐ敏感に反応する体質を考えると、開き直りたい気持ちと、とんでもないといった几帳面さとの闘いである。

先ずは、健康を害さ無いものを最優先しようと思っている。
一ヶ月後を想像するだけでも、心が軽く楽しみに変わっている。
先ずは、苦手なデジタル化を最小限に留めようと思っている。
全く手を付けない訳には行かない時代だから、自分との相性の問題を踏まえて、次なるステップに進みたいと、思案している。

歳相応に閃きやトキメキを失わない世界で生きていきたいと想っている。