2021年
1月
30日
土
昨年の暮れの29日以来、私の部屋に自然の美しさを楽しませていた、黄実の千両が、今朝、水を取り替えた際に、7粒の黄実が一斉に落ちた。
まるで、凡そ、一か月しっかりと元気だったが、とうとう、自然の掟というか、限界だったのだろうが、私は、この千両に自分を重ねていた。
本当に縁あって私を毎日励ますかのように、また、私も大切な命の預かりものとして接してきた。
何度も繰り返すが、75歳という年齢をある意味で人生の節目と考えていただけに、何やら「お先に」といったさみしさを無ぐ得ない。
先日、令和元年から、ふるさとの母校の小学校の學校運営協議会の委員を務め、それが、何よりの生甲斐として、令和2年も順調に進む筈であったが、新型コロナ禍で、私の生甲斐は無残にも実現する日はもう来ない。
というのは、令和2年の最後の委員会が2月6日で、とうとう令和2年度も
お終いというわけで、コロナの終息が見えない状況での次年度の約束は難しく、いよいよ、母校ともお別れをする日が、近づいてきた。
これで、75歳というかねてから節目と決めていたことが、日を追って現実のものとして受け止める時が来たのである。
残された時間内で、私は、今最終章に向かって、些か、無理を重ねている日々が続いている。
体力的にも、ちょっと、お疲れ気味だが、むしろ、かたずけていく方が
精神的にも、ストレスにならない。
もう少し、もう少し、と自分に言い聞かせながら、ふるさとの母校との
区切りをつける年齢である75歳を、今、ひたすら、歩んでいる。
ある意味で、私の決断というか、決意を「黄実の千両」は知っていたのではないどうかと、想っている。
2021年
1月
25日
月
まさに皆様の想像通り、菊池寛著の「マスク」の返却日である23日も、何となくシャキッとしない朝を迎えたので、早々に図書館でワンクール延期依頼をする次第となった。
「頑張らないで、頑張って」の「頑張って」の方にウエイトがかかったという自覚と反省しきりであるが、私としては今月中に極力デジタル終活に
見通しをつけたいと予定していた。
つくづく、予定やいろいろの問題が生じて困惑したときに、必ず手を貸してくれる良き人に出会うのである。
まさにデジタル終活についても、昨年末の12月から専門家に依頼して、
お陰様で、ほぼ、予定通りに進み、ほっとした気の緩みも、影響しているのではないかと思っている。
然し、本当に人に恵まれているというか、必要な人材に出会うのである。
そのような次第で、先週末にデジタル終活に目鼻が付いたのだ。
やっと、「マスク」を読む時間ができた。
処で、今のコロナ禍の中では、マスクも一つのファッション化をしているといっても過言ではないと思いつつ、マスクの歴史が気になった。
掲載されている菊池寛氏のマスクを見ると、今、巷に人気のある黒のマスクをつけているからだ。
検索してみると、一般社団法人日本衛生材料工業連合会に、マスクの歴史が詳細に記載されていた。
かつては粉じん除けとしての利用に始まり、1918年のインフル風邪の
大流行の予防品として、注目を浴びたそうだ。
100年前当時に配布したポスターには「マスクをかけぬ命知らず」と。
さらに、菊池寛は見た目は体格もよく頑健に見えるが、どうやら、心臓系が弱く、想像が付かないが、脈が弱く、息切れもあるとか、実に克明に自分の体と向き合っている。
いわゆる恰幅が良いのに、体にはいくつかの不安要素を抱えている。
マスクをつけていない人に対しての感情も、全く今のコロナ禍にマスクをつけていない人を見ると、私も思わず、息を止めたり、足早になったりするが、そのような感情をさすがに菊池寛は、実に巧みに吐露している。
さらに解説をフランスに在住の辻仁成氏が、時も時、パンデミックでロックダウンで、大統領がマスクへの説得にも努めたようだが、自由を愛する
フランスでは、日本人のようにマスクが習慣ついている状況との違い等々
なかなか興味深いな内容である。
最後に辻氏は「百年前のパンデミックの時代に、不意に登場した黒マスクの正体こそ、この作品に隠された黙示ではないか」と結んでいる。
処で、私の血圧上昇気味の正体にも隠された黙示があるのではないかと思うに、些か、コロナに始まり、私自身もパソコンを含め、28年ぶりの
手術、楽しみにしていた母校の小学校で学び直しを予定していたのが、脆く不可能になった残念至極の75歳という年齢が一刻も早く通り過ぎたいという些か、焦りと、失望感が原因かと、しかし、まだ、退院後5が月。
今一度、「頑張らないで 頑張る」というドクターの言葉を改めて警鐘に思う時期に入ったのではないだろうか。
2021年
1月
21日
木
退院後の私は、かつてない程に血圧が安定しているが、今朝は頭がすっきりしないし、珍しく血圧が高く、疲労感もある。
そういえば、昨年保健所からの「胃がん検診」のみが延び延びになり、昨日、午後から検査だった。
もちろん前日の20時以降からの断食とコップ一杯の水分補給のみが大きく
体力的に持ちこたえられないのかもしれないと思いだした。
さらに、待ち時間にスマホのGoogleフォトの整理をしていたこともありかなと思い当たること多しである。
そして、今日は、パソコンと向き合わねばならない不要不急の予定があり、また、私が簡単に考えていたスキルでは、到底かなわず、苦手のエクセルと向き合うこと一時間で、疲れ切ってしまった。
前日から、今日はパソコンとの逃げられないお付き合いがあると朝から
頭にあったせいで、体がシグナルを出したのである。
ちょうど、一週間前にエッセイストの岸本葉子氏が、毎週日本経済新聞の夕刊に「人生後半 はじめまして」の連載記事に、まるで私の気持ちを代弁しているような、タイトルを思い出した。
そのタイトルは、「パソコン漬けに思わぬ『復讐』」と記している。
確か、何度か、ラジオ深夜便で、優しく穏やかな語り口からは想像できないほどの表現に驚きと共に、恐れ多くも岸本氏という同じ思いの仲間に爽快感すら覚えた。
どうも、早くメール程度で、パソコンとも穏やかに笑顔で付き合える程度のパソコン生活が一日も早く来るのを待ち望んでいる。
夜は、明日が図書館の返却日の菊池寛著の「マスク」を就寝前に再度、読み込もうと枕元に置いて。
この先はご想像にお任せします。
2021年
1月
17日
日
前日は、これまでの大学入試センターから、初めての大学入学共通テストが、コロナ禍の中を今日まで受験生は頑張っている。
同時に、北里大学薬学部でボランティア実習講義の時期でもあり、コロナ禍さえなければ、今年も今日の阪神淡路大震災の前後にあたり、日本でのボランティア元年といわれ、必ず、講義の初めに、学生に17日について
問いかけても、首をかしげる年代層である。
ちょうど、大学3年生といえば、この大震災も早や5~6年前のことで
実際に体験のなく、話題としても、残念ながら、17日にメディアが取り上げるレベルになりつつあるために、問いかけても無理はないかと、散歩しながら、コロナ禍前を懐かしく思いだしていた。
やはり、講義中いかに学生の眠気を避けるためには、できるだけ事例というか、私の失敗談をすると、うつむきがちの生徒が顔を上げてくる。
今、昨年の最後の日曜日27日に、友人から庭の「黄実の千両」をいただいたが、何と未だに部屋で生き生きとしている。
オレンジ色の実もしっかりと付いている。
緩和ケア病棟では、病室の患者様のお花の水を取り替えるのも活動の一つであり、既に弱弱しく見た目には枯れかかっている花の付いた枝を捨てようとしたとき、患者様から、「あなたには、もう捨てたほうがいいと思っているかもしれないが、私には、この枯れかかった枝や花を、自分の命と
重ね合わせているから、もう少し、新しいお水を与えて、一日でものばしたいのよね」と。
今年、私も28年ぶりに12時間にわたる脳外科の手術後の病室の窓から見える空の表情や星、さらにシャープな三日月がちょうど、まるで私の頭上に来たときは、思わず、月に引き込まれる恐怖を感じた。
元気な時は、気にならないことが、病気になると、それぞれ小さなことにも自分の命を重ねてしまうほど、敏感になっている。
人によって苦しみや辛さには個人差があるが、その人にとっては非常に重い想いであるということ等々ある現実を受け入れる重要性が必要である。
処で、散歩しながら、私は、15日からの二日間、いよいよ、母校との別れが、まだ消化不良のママ、体にもシグナルが出始めた。
一番恐れていた事態になるのではと案じながら、帰宅後、ふと、友人からの例の「黄実の千両」を見ているうちに、不思議に、励まされてくる。
なんて、情けないんだろうとそれぞれの立場で背一杯生きているではないか、私も気を取り直して、「頑張らないで、頑張ろう」と思った。
突然、スマートフォンから、iCloudストレージの空き容量が、少なくなり、いわば満腹状態にあるとのメッセージが入ったのである。
嗚呼、今夜は、スマートフォンに使われそうだ。
2021年
1月
15日
金
三寒四温という春を迎えるまでの冬の期間に繰り返す現象があるが、朝は冷え込むが日中は澄み切った冬晴れの日が続いているので、何とか持ち堪えてきたようだ。
然し、今日の寒さはものの5分も歩くと、心底冷え切るほどだ。
午前中に、昨年から約束していた用事で、目的地までの何と寒い日だろうと、約束というのは、先が見えないだけにこのようなこともあるかと、自分に言い聞かせながら、どんよりとした鉛色の空を恨めしく見上げた。
すっかり冷え切った体を温めるには、自宅でもかなりの時間を要し、とうとうベッドにもぐりこんで、電気毛布で暖を取った。
眠り込んだようで気が付くと、外の景色は既に日が暮れていた。
毎日、今年はコロナのために、3月からふるさとの母校に帰る機会をなくしているために、ブログを見るのが、日課になっていた。
母校のブログを見て、覚悟はしていたが、これまで私の生甲斐だった学校運営協議会の令和2年度の最後の委員会が、2月6日の記載に、心に凍るほどのさみしさを感じた。
今期の最後の会議は、3月と思っていたが、それも恐らくは委員会に帰郷はできないと、私が勝手に考えていた予定が1か月早かったのである。
僅か1か月が私には、いつかは来ると思っていたが、予想より早すぎ、動揺が走ったのである。
新型コロナウイルスが今日15日に、日本で初めて発見された日と、重なるなんて、とてもつらく、新型コロナウイルスに私は、初めて憎く思う気持ちに襲われた。
明日16日は、退院後4か月を迎え、これほどのコロナ禍になる前には、
ドクターから、帰郷も許可されるほどに、回復していただけに、なんとも
言葉にならない冷たい隙間風が吹き荒れている。
2021年
1月
12日
火
小学校の通信簿に、「協調性に欠ける」と担任の先生から評価されていたが、かなり心して努力をしてきたつもりであるが、どうやら未だに克服できていない部分が表出する。
今年から、長年愛用して慣れていた手帳から、新しいビジネス手帳とボールペンを新しい生活のスタートと言い聞かせて、書き込み始めたが、どうも、しっくりしない。
考えてみれば、もうこれまでのようなビジネス手帳は不要であると、今頃気が付いたのである。
さらに、これまでボールペンも、黒、紺、赤のスライド式の芯で、それも製薬会社からの社名が入ったいただきものだと思うが、とてもそれが使いやすく、気に入っていた。
昨日、改めてスリムで簡潔な手帳を買い求め、いざ、黒一色の書き込みが
気になってきた。
つい、一色だと見過ごしやすいというか、なんか、長年3色で重要度を振り分けていた習慣が、懐かしく思いだし、手帳を前に一向に書き込みが進まないのであった。
1月10日の日本経済新聞に、歌人で情報科学者の坂井修一氏の「うたごころは科学する」に「替え芯のある生活」を思い出し、再度、読み直してみた。
確かに替え芯で使い分けができる便利さに、私はすっかり慣れてしまっていたために、黒一色の手帳に書き込むには、時間と協調性との戦いが慣れるまで続きそうだ。。
坂井修一氏は、4色ボールペンを使っているそうだが、インクのなくなるタイミングが色によって違うことに、数本購入しておくそうだが、私は、
使い切った芯だけ、一本買い求め付け加えながら使っていた。
いずれにしても、今日から、「日の出が少しづつ早くなる日の出の折り返し地点」と知り、やっと本格的に日常がスタートした感がある。
今日中にはと、意を決して、新しい手帳と、パーカーのボールペンで、予定を書き込んだ次第である。
2021年
1月
06日
水
昨日、私はスイッチを入れると、大見得というか、公然とブログ上で約束をした。
これまでであれば、昨年中に新しい年の予定等々を手帳に書きこんでいたが、私は、今日から書き込もうと予定している。
長年愛用していた手帳も、今年から変わったこともあり、ちょっと慎重にとの考えと、久しぶりに今年の手帳から、大学を卒業した卒業祝いにと父からのパーカーのボールペンを使って。
実は、このボールペンには父親の拘りで、ボールペンの芯は「ブルーブラック」で、私は長年そのボールペンを使っていたが、この芯の色が後に、私を戸惑わせる結果に。
なぜか、正式にはあらゆる手続き上では、「黒」の芯を使わなければならなくなった。
然し何か味気ないというか、私は、黒の芯に父からのボールペンの芯を
取り替えるのに抵抗感があり、別途ボールペンを求め、使い分けていた。
今年からの手帳の芯を黒にするか、ブルーブラックにするかの迷いもあり、昨年に「黒」の芯を求めていたが、書き込むに何と今日まで躊躇していた経緯もある。
既に今年もスタートして6日にして、私は新しい手帳には、黒のみで、書き込むことの決心がついた。
理由は、今年の手帳からは、書き込む内容が、恐らく、病院の診察日が多くなり、これまでの社会との関りがなくなるからだ。
75歳も残すところ、3か月を切り、76歳が待っている。
やがて、肉筆重視の私の「新しい生活様式」が始まるスタートが手帳からになり、元日の文藝春秋の『活字の中に「人間」がいる』というフレーズを、ある意味で、デジタル終活を視野に入れている私の背中を押してくれた想いがある。
昨年末に、ある人から私はブログには向いてないという印籠を渡されていただけに、間もなくホームページも3月末で終了するつもりでいる。
今、私は指摘されたブログについて、言いにくいことをさらりと言いのけた人に感謝の気持ちをもっている。
やがて、新たに好きな活字を肉筆で、久しぶりのボールペンと共に楽しみながら、懐かしい「筆まめ」ができるであろう痛さも、納得できる。
終息の見えないコロナ禍の中で、まるで、世間の常識から外れた生活スタイルかもしれないが、私には、どうやら、オーソドックスというか、アナログの方が心身共に生きやすいとの想いからである。
2021年
1月
05日
火
昨年、母校の終業式に合わせて、私も早々とクリスマスイブから冬休みにしたのであるが、新しい年を迎えるまでにと、これまでの年末の習慣に、
ついつい私も、まだ残っている紙資料が気になり、整理を続けることに。
昨年の9月の入院生活、手術により、やはりできるだけ、身の回りをコンパクトにしておかねばとの、かねてからの考えていたことだ。
お陰様で、どうしようかと困っていると、不思議に良き人材に出会い、私自身がぽつぽつやっていれば、恐らく数年かかる作業を、アッという間に処理してくれる。
流石にその道に精通したプロの仕事に助けられ、とうとう、29日まで頑張ることになり、USBメモリースチックバックアップした後の紙資料の処分を、何とか、31日までにと計画したのは甘かった。
年末から正月もなく、資料を断裁した。
長年の紙資源に、かねてから75歳までの総決算というか、整理をしようと考えていたが、いざ目の前からただの「燃えるゴミ」に変わってしまった紙資料を前に、これからの計画は思いつかないでいた。
毎日欠かさずに続けている散歩中も、残念ながら黙々と歩くだけである。
ただ、一つだけ、昨年から極力、パソコンで済まさないで、メモに始まり肉筆を心がけてきた。
昨年末、ある方に手紙を書く機会があり、昔は、スイスイと誤字もなく、また、漢字も順調に、いわゆる筆が進んでいたが、まあ誤字や漢字を忘れている。実に嘆かわしい現実である。
昨年から、まずは忘れてしまった漢字を取り戻そうと、決めていた。
そうは思いついても、何から手を付けようかと、模索中の私に、私は元日の日本経済新聞に文藝春秋の広告が目にとまったのである。
恐らく各新聞に掲載していると思うので、思い当たる人も多いと思う。
『活字の中に「人間」がいる』といったフレーズである。
そこには、文藝春秋の創業者である菊池寛の、100年前のスペイン風邪でマスク姿の写真と共に、「マスク」という小説集の文庫本が紹介されていたのである。
隣接する図書館が今日5日から開館するのが待ち遠しく、気を紛らわせるために、まだ残っている紙資料を整理するか、散歩をしながら、昨日まで過ごしていた。
10時半の開館を待って、図書館に申し込んできた。
何か、今年の生き甲斐や生き方のヒントが得られればと楽しみだ。
今年の予定としてのメモには、まだまだすることが書き込んである。
そろそろ、今日から日常に戻り、リセットしてスイッチオンしなければと
暮れなずむ空を仰ぎながら、日課の散歩を終えた。