2023年

2月

28日

リストラクチュアリング

今日で「逃げる」と言われる如月こと2月の最後の日である。

 

振り返るのが苦手な私であるが、何故ゆえに2月という月に対しての様々な過ぎ去った出来事に逃げないで向き合いことが、次なる新しい想いの自分がいると気付いたからだ。

 

それには長く続いた私の思考回路に、依存という言われる部分が大であるという事である。

 

つまり、2年前の脳外科の手術から、常に再発の恐怖に怯えるあまり、嘗ての負けず嫌いの私は、腰が引けていた状態のまま、コロナ禍に突入したのである。

 

いま、来月新しく年輪を刻む私は、何としても、如月で思い当たる数々の

不甲斐無さに終止符を打ちたいとの想いが強く成った。

 

全ては発想の転換というか、心身共の再構築、リストラクチュアリングが

必要であると気付いた。

 

2023年もスタートして2か月と思えば、残された10か月を如何に生きるかという事である。

 

時間はまだ十分にあると想った私は、来月早々に年輪を刻む弥生に望みを託そうと想った。

 

しかし、之こそ、先送りであり、ちっとも、反省してないともいえるのである。

 

これぞ、私に対する喫緊の必要とされるリストラクチュアリングではないだろう。

2023年

2月

27日

ヘルペスが勢力拡大

今朝、あれっと気が付いた。

何と、発症中の隣に、更に勢力の強いヘルペスが現れたのである。

 

まあ、何と申しましょうか、如月は最後の最後まで、私の体調に攻め込んでくる。

 

ドクターから、常備薬の抗生物質薬が手元にあるが、何となく服薬する気持ちに至らず、痛みと闘うと決めた。

 

アキレス腱炎も痛みが強ければと、鎮痛剤を処方されているが、こちらも

服薬する気にならないまま、今日に至っている。

 

私より年上の友人が、70代から75になるまでに、ひと山乗り越えなければならないわよと話してたことが、私にも思い当たる。

 

更に、5年サイクルで、色々体調の変化が現れるから、大変よと続けた友人の話を思い出している。

 

横断歩道を渡ろうとした信号の先に、青い空に半月の白い月が見えた。

 

久し振りに、踵に痛みがあるが、お月様に見守られながら、暫し散歩に

チャレンジした。

 

東京の空と、お月様は、故郷にも繋がっていると想いを馳せながら。

 

故郷への想いが届いたかのように、日本経済新聞の夕刊にの一面に、若い世代に「染め花」が繚乱との記事によれば、JA晴れの国岡山(倉敷市)は23年に入って個々の生産者が権利を持っているスイトピーの染め技術を共有することで、生産者も産地としての販売の底上げになるという。

 

因みにスイトピーは「オールドブルー」「ブラックルビー」などが数十種類もあるそうだ。

 

又、ひとつ、東京でのふるさと探しが増えた。

2023年

2月

26日

青空が高い

段々と、単純ヘルペスが勢力を伸ばしてきた。

 

今日はとりあえず休養日として、大人しく過ごそうと決めた。

 

友人たちは、週二日制が浸透する前は、日曜日しか休養する日がなく、そのころから私は、日曜日のダウンがパターン化していた。

 

今、喉が痛いとなれば、新型コロナウイルスを疑われるが、私は何故か喉の痛みは、左側に限られ、ヘルペスは右側といった傾向がある。

 

唯、体重の増加になって以来、すっかり喉の炎症はなく成ったが、頻繁に

単純ヘルペスの発症の頻度は増えて来た。

 

月に一度の割合と言っても過言ではないヘルペスの持ち主といえる。

 

昼食後、ベランダから見える空が高く澄み切っていたので、公園にある数本の裸木から見える空の美しさに、気持ちが和んできた。

 

切り株のベンチに腰かけて、如月も残すところ、2日になった。

来月に入るや早々に、私は一つ年輪を刻むのである。

 

さてさて、弥生3月は、納得のいく日々を過ごしたいと、空を見あげながら

公園での時を過ごした。

2023年

2月

25日

体調にシグナル

三寒四温の変わりやすい天気に翻弄されているが、何となく、体調の変化を感じていた矢先、とうとう、出てきましたか。

 

変化に順応できなくなると、身体の右側にぷつぷつと米粒状の発疹ができる単純ヘルペスが、いよいよお出ましである。

 

内心、よくこれだけ慌ただしく、しかも初めての体験ばかりに、ヘルペスが出来ないのが、私にとっては、寧ろ、不思議にすら思っていた。

 

やせ我慢でなく、私は単純ヘルペスの発症によって、来るべきものが来たという安心感のような気持になるのである。

 

これまでの経験から、単純ヘルペスによって、取り敢えず治まるところに収まるという終焉が近い時に、発症するからである。

 

友人たちも私の体質を知り尽くしていて、恐る恐るヘルペスはと訊いてくるのが常だある。

 

早速友人に連絡すると、至極当たり前に、私と同じように来るべきものが来たといった受け止め方である。

 

そろそろ、幕を引きたいと想っているが、どうなりますことやら。

2023年

2月

24日

リンパ浮腫かな

何と、昨年末のアキレス腱炎によって、初めての経験が続いている。

 

その一つが、リンパ浮腫の可能性があるとの懸念で、血液外科を受診することになった。

 

時間の経過で、浮腫が解消されてきたように思いながら、素人判断は禁物で、何たって、この際、徹底的に治療に邁進する覚悟はできている。

 

病院ボランティアをしている時に、血管外科と血液内科と紛らわしい診療科目を思い出したが、まさか、私がその一つ血管外科を受診するとは思いも及ばなかった。

 

案じていたリンパ浮腫の可能性はなく、弾性ストキングを着用することになった。

 

嘗て、脳外科の手術をした際に、着用したストッキングも弾性だったと思いだし、看護師さんに尋ねると、足先の指の部分がカットされているが、

今回はすっぽりと、全くの靴下の形態だという。

 

帰宅して、早速試みるも、かなりの力を必要とし、大変である。

 

やはり、ダイエットも三日坊主に終わり、もう一度ダイエットにトライして、体重を軽くしなければと、猛反省をしている。

 

ふと、新聞に目を通すと、「足の痛み しびれ・はれ・変形 自力で良くなる」というタイトルの書籍に、飛びついた私は、書店に問い合わせた。

 

先程、治療に邁進する覚悟の一つに、リハビリの大切さを教示され、今も時間を見付けて実行しているが、もう一歩、リハビリを広げたいとの意欲が湧いてきたからである。

 

在庫がなく来週早々に届くとのことで、楽しみ乍ら、根気よく続けていきたいと想っている。

2023年

2月

23日

母校のブログ

今日は、天皇誕生日で祝日。

 

先日19日の日曜日と違い、今朝は定時にすっきり目が醒めた。

昨日、私はアキレス腱炎の原因が、加齢により、土踏まずと言われる部位が偏平足になるそうだ。

それをカバーする為に装具を作ることになった。

 

昨日の午後、装具という初めての体験をしたが、特に足形を作る際に、柔らかい綿菓子のようなスポンジ状に足をのせると、見る見るうちに、足が吸い込まれて埋没していく現象が心地よく、ずっと、そのままで居たい位だった。

 

来月の誕生日に新しい靴にしようと思っていたが、丁度良い機会だと、ピカピカの靴にした。

 

アキレス腱炎とも、これっ切り、これっ切りという強い願望もあった。

 

ところで、今日は昨日までに懸案は済ませたので、久しぶりに母校の小学校のブログにゆっくり目を通した。

 

相変わらず、故郷の空はやはり「あさくちブルー」の下で、子どもたちの表情がマスク越しでも元気そのもので、生き生きと明るい。

 

昨年11月に母校に帰った時に、子どもたちから「また、きてね~」と言われた私は「必ず帰るからね~」と約束した。

 

出来れば、その約束を果たしたいという想いで、胸が苦しくなった。

 

母校の小学校にある梅の開化宣言と共に、淡いピンクの梅が咲いているブログがアップされている。

 

桃の花と菜の花の春色に染まる故郷に、想いを馳せた祝日を過ごす。

2023年

2月

22日

割り付けに技あり

今日22日の日本経済新聞の夕刊に、私はさすがと想わせる割り付けに気が付いた。

 

一面の「あすへの話題」に小説家の松浦寿輝氏による「技術に疲れる」のタイトルに、興味を持った。

 

ガラケーは日本語で、英語ではフリップフォンという折り畳み式携帯電話と知った。

 

現在のスマートフォンは高度な技能が多すぎて、それを何とか使いこなせればと追い立てられ、それに追いつこうと遮二無二走り続けることに、疲れを感じ始めているようだとある。

 

全くその通りですと声を大にして、私も同じ想いですと挙手したい。

 

目を転じた左に、何と、ご存じの「Adobe Acrobat Pro」の広告が掲載されている。

 

編集の仕事で、割り付けを経験しているだけに、何と憎らしいまでの割り付けに私は、すごいなあと思った。

 

割り付けをした担当者の想いはと、聞きたくなるが、私なりに膨らませて

楽しみたい。

2023年

2月

21日

ハロー効果

今日は中国語で人気者という意味を持ったシャンシャン(香香)が日本を離れ、中国に返還される日だ。

 

本当に、可愛いの一言に尽きる存在は代えがたいものがある。

 

実は、クリアーファイルに思わず、笑みが零れる動物を、新聞とか、雑誌から切り取っている。

 

パンダをはじめ、犬派の私は、日本犬の小柴、更に先日、秋田を代表してまったり、ほっこり、ゆったりがピッタリの秋田犬を加えた。

 

何時頃だろうか、私は「笑顔」を失わないようにとの発想だと想う。

 

つまり、ハロー効果と言われるもので、確か、電車に赤ちゃんが乗車してくると、乗客の視線が赤ちゃんを見て、穏やかな雰囲気になるという。

 

これをハロー効果と記憶している。

 

最近、新型コロナウイルスが下火になってきたせいか、赤ちゃんをベビーカーに乗せた風景を見かけることが多く成った。

 

思わずベビーカーの赤ちゃんに、マスク越しでアイコンタクトをとると、

にっこり、微笑んでくれると、私は「良いお顔をしてくれてありがとう」と、返すことにしている。

 

時間にして、数秒かもしれないが、温かいものが流れるのが分かる。

 

正に、ほっこりとした気持ちにさせてくれる。

2023年

2月

20日

WEB会議

3年にわたる長き新型コロナウイルスによって、私はすっかり、新しい生活スタイルから取り残された。

年齢的にも、後期高齢者の仲間入りをしたこともあり、人前で話す機会も

無く成った。

 

処が、来月のシンポジュームに、私がパネリストの一人に指名されたのである。

 

今日の午後、事前の打ち合わせがあり、久しぶりにパネリストとして、意見を述べることになった。

 

綿密な打ち合わせに、出たとこ勝負の私は、少なくも戸惑いを感じた。

 

これまで、私は人様の前で話をしてきた経験から、その場の雰囲気が直に伝わり、臨機応変に、ある程度自由があったが、今回、初めて、ズームというスタイルであった。

 

ズーム参加者を通しての会話には、無機質さを覚えたが、確かに、何処にいても、自由に参加できるというシステムは素晴らしいと言える。

 

兎に角、協調性のない私にはもう少し、時間が掛かりそうだ。

 

しかし、時は待ってくれないわけで、何とか、来月はスムースにと、準備は欠かせない。

 

限られた時間内で、画面越しの相手にも、明瞭に伝えるためには、言葉を

選ばなければと考えている。

 

お陰様で、私も、新しい生活スタイルの仲間入りが出来そうだ。

2023年

2月

19日

夜の白梅

いつものように、定時に起きようとしたが、どうしても、起きられない。

 

春本番の暖かい日、とか、4月並みの陽気とか、天気用で報じられているというのに、ぐったりとして、直ぐ横になってしまう。

 

それでもと、頑張って、カーテンを明けて、外の空気をと、ベランダに出ると、刷毛を引いたような薄い雲が流れている。

 

ぼんやりとその雲の流れを目で追っているが、やはり辛くなる。

全身が、疲れた、疲れたと訴えている状態である。

 

もう、仕方ない、休養日と決めた。

熟睡ではなく、眠りが浅く、時折、起きようとするが、しんどい。

 

気が付くと、夕刻6時を過ぎていた。

やっと、起きる気力が出てきた私は、近くの公園に出かけた。

 

マスク越しに、甘い香りに見上げた先に、街路灯に照らされた白梅が開花していた。

 

今日の春本番の暖かさに、一気に白い花が開いたようで、今年も律義に季節を届けてくれたのである。

 

夜の帳に、白梅が明かりを通して、立体的に見えるところが好きで、毎年私は楽しみにしている。

 

体調が優れなかった私には、素晴らしいプレゼントに成った。

2023年

2月

18日

手順に従う

リンパ浮腫の可能性があるという新しい問題を抱えた私は、専門外来で、しかも初診であるために、外来案内からの指示で、急遽、病院に急いだ。

 

兎に角、一刻でも早く、聞きなれないリンパ浮腫に対して、非常に敏感になっていたからである。

 

先月末に健康診断の結果では、浮腫は見られず、高血圧症の治療の指示だけで、急に、この2週間で、私の足首は様変わりしたのである。

 

取り敢えず、血管外科の診察を受ける前に、先ずは総合内科の受診が必要とのことで、善は急げとばかりに、病院に飛び込んだという次第である。

 

総合内科の診察結果は、確かにふっくらとしているが、リンパ浮腫には至らないが、念のために、血管外科受診の道筋がついた。

 

血管外科受診は、一週間先の金曜日である。

 

帰宅すると、気ぜわしさで急に疲れを覚え、身体を横たえているうちに、

すっかり眠ったらしく、外は既に暮れなずんでいた。

2023年

2月

17日

カード社会

日を重ねるや、私の足首はパンパンに腫れて、症状の改善は見られなく、寧ろ、リンパ浮腫の可能性があるのではと、血管外科の診察を受けたほうが良いのでとの、永年の鍼灸院のアドバイスで、受診をすることにした。

 

どうも、嘗てのアキレス腱炎より拗らせたせいか、東洋医学も危ぶまれるほどに重症化していた。

 

どんどん足首が無くなり、寸胴の足を見て、どうしたらいいのと、宙を見あげ、どうすることもできない現状に歯がゆい思いでいた。

 

そんな時に長年使っていた赤いマウスが限界となり、之までがマウスペットを使用していなかったが、途中下車してマウスパットを買い求めた。

 

迷っているうちに、故郷の製品に出合い、即座に購入を決めた。

 

若い店員さんから、新しいカードに切り替えを勧められ、カードの発行を決め、先の若い店員さんと、自動発行できる機械の前で、画面に向かう。

 

画面の指示に従い、「次へ」という指示が機械的に即座に反応するのが、

何とも気持ちよく、若い店員さんから、お客さん、随分、明るいですねと

褒められ、何とも心地よくカード更新ができた。

 

不思議に、重苦しく感じていた足首の炎症を想いだすことなく、無事に、

カード更新を楽しんだ。

 

しかし、私の財布も医療機関のカードを始め、気が付くとカードでパンパンに膨れている。

 

嘗て、高齢者はキャッシュレスのカードは2枚に収めるべきといったアドバイスの記事を読んだ記憶がある。

 

確かにパスワードだけでも、いつ何時認知症になるかもわからない年齢であるだけに、カードの断捨離も一考の価値があるかと目論んでいる。

2023年

2月

16日

加齢による偏平足

昨日は循環器、今日は整形外科と地域の病院に日参と言っても過言ではない私である。

 

かかりつけ医制度を推奨しているが、私は20年以上にわたるカルテが、馴染のある総合病院にしか存在しないのである。

 

ドクターもパソコンにすべてのデータが組み込まれているため、私にとっては、その都度説明することなく、誠に助かっている。

 

昨年からのアキレス腱炎についての改善は、芳しくなく、精神的に焦りが禁じえないのである。

 

ドクターから、加齢による偏平足が、回復を妨げているという。

次なるは、偏平足からの回復を促進しようという診断に、私はいかなる手段でも、嘗てのスイスイと歩ける自分を取り戻したいだけで、そのためならば、どんなトライも厭わないと、啖呵を切った。

 

先生も、私の気持ちを察し、それならばと、偏平足を回復するための装具を作ることに決まった。

 

嘗て、友人の足を見て、偏平足と決めつけていた私に、お返しが来た。

 

いずれにせよ、そろそろ治療にピリオドを打って、誕生日を迎えたいと願っている。

2023年

2月

15日

北風が吹き抜ける

寒い。北風に体が強張てしまう。

その寒さの中、極度の高血圧に、循環器の診察が頻繁になった。

 

ドクターからもくれぐれも無理をしないようにとのアドバイスに、私自身戸惑うばかりである。

 

戸惑うといえば、応援して下さる方からの要望で、「ぼっちの会」のチラシを作ってほしいという要望に、久しぶりにパソコンでの作成にトライするも、まあ、すっかり忘れている自分に呆れる。

 

嘗て彼是10年以上前に御世話に成ったパソコン教室で、改めて指導を受けることとなった。

 

言い訳をするつもりは無いが、昨年パソコンを買い替えた時にバージョンアップして、ますます、表示が簡略化している。

 

しかし、「ぼっちの会」を成功するためには逃げられない関門である。

 

正にアナログ人間にとってはしんどい状況である。

 

友人の一人は、全く動じることなくアナログ人間に胸を張って生きているが、私ですら、彼女のアナログに歯がゆいい想いをして、何度も、もう、

付き合う切れないと想ったことか。

 

体力の低下を自覚している私には、かなり辛く、出来ればすべてを投げ打って母校の子どもたちの元気な声を聞ける環境に憧れている。

2023年

2月

14日

うさぎ効果

先日、一年がかりで立ち上げた「ぼっちの会」に、2月7日、日本経済新聞の朝刊に、大野裕氏による「心の健康学」に大きな力を頂いた。

 

必ず、楽しみでもあり、自分を問い直す再確認の意味を込めて、欠かさずに拝読している私には、ヒントがいっぱいであった。

 

2月7日に「ラビット・インフェクト(うさぎ効果)」についての内容に、

私は「ぼっちの会」についての自信を持つことができた。

 

大野裕氏によれば、米国での脂肪疾患によることから、うさぎにも脂肪分の多い食事を与え、心臓に影響が出るかとの調査をした。

 

その結果、脂肪分の高い食事をとっていても、健康状態を保っていたという結果に、更なる研究を重ねた結果、うさぎを抱き上げたり、撫でたりした、愛情を掛けられたうさぎは高脂肪食を食べても健康でいられるとわかったという。

 

孤立した人にはたばこを毎日一箱と同じ悪影響が体に表れているという。

一方で、親しい人や地域の意味ある交流が出来ている人は、うつ病にかかりにくい報告もあるという。

 

2月7日の大野裕氏の「心の健康学」に私は、「ぼっちの会」を創設したことに、間違った選択でなかったと胸を撫で下ろしている。

 

ところで、今日はチョコレート業界の戦略に翻弄されたが、今は何と一時の賑わいはなく冷めきっている。

 

願わくは、「ぼっちの会」が熱しやすく冷めやすく成らないように、今後

しっかりとスタッフと考えていきたいと想っている。

2023年

2月

13日

ランチは鰻重

春は名のみ、四温三寒と言われる季節の移ろいの表現がぴったりの、今日は冬の寒さに逆戻りで、寒い。

 

くるくると目まぐるしい気候変化にも、今日は親睦を兼ねて、ランチを近くで蒲焼の老舗で知られるお店で、うな重の約束をしていた。

 

外は冷たい雨にも関わらず、店内は満員で、一足遅れたら、行列に巻き込まれていたが、お陰様で、予約の甲斐があった。

 

亡き父親から、泥鰌鍋は体に良いからという話を思い出して、女将さんに

尋ねると、最近はドジョウの入荷が少なく、メニューには載せているが、

思うように手に入らないそうだ。

 

人との繋がりには美味しい食事が効果があると言われるが、正にその通りで、表情が和んで見える。

 

長くコロナ禍で、飲食業は辛い日々を過ごして、今、こんなに美味しさを

提供してくれている。

 

メディアで、政府がマスク着用緩和を発表しているが、未だ、食べ終わると美味しさの余韻の残すことなく、マスクをかけるといった風景が抵抗なく続いている。

2023年

2月

12日

サプリに期待

これまで、私はサプリ類には関心を持つことはなかったが、新聞に挟まれていたチラシが妙に気になった。

 

何というか、見えない力で引き込まれているように、気が付くと、固定電話の受話器で、申し込んでいた。

 

これまでの私は、申し訳ないが、サプリに惹かれるという経験は全く初めてで、脳裏に足首問題が強くインプットされているからに違いない。

 

いざ、申し込むと、何時届くのだろうと次から次へと気忙しく、想いが広がってしまうところが、私のストレスの原因かと、近くの公園で、リセットした。

 

昨日より更に気温が状しているせいか、空気には春の香りが届いている。

 

もしかしたら、近くの生垣に私の大好きな白い沈丁花を思い出し、痛みを堪えて足を伸ばしてみると、未だ固い蕾だが、近づいてよく見ると、僅かに蕾の先が綻んでいるように見えた。

 

本格的な春を迎えるためには、何たって、アキレス腱炎を直さなければと

サプリへの期待が広がった。

2023年

2月

11日

両親の結婚記念日

先日とは打って変わったように、力強い太陽が部屋に届き、眩しい。

 

恐らく私の気持ちも大きく前向きな思考を取り戻したことも大きな起因になっていると想う。

 

そういえば、今日は両親の結婚記念日だと突如思いだした。

現在は建国記念の日だが、亡き両親から、紀元節の日に結婚したと聞いた記憶が蘇ってきた。

 

親不孝で、77年間、両親の結婚式などすっかり忘れていたが、何と思いがけなく、思い出したものである。

 

恩師に「ぼっちの会」の報告方々、両親の結婚記念日の話をすると、何と

両親の結婚記念日はしっかりと記憶しているそうで、自分たちの結婚式はともすれば忘れがちとの答えが返ってきた。

 

何となく終日、ほんわかとした気持ちになるが、どうもアキレス腱炎症が

両足に広がっているのが気になっている。

 

パソコンをチェストを使って立って打ち込む私は、夕刻になるとふっくらと膨らんでいる足首をさすりながら、一難去って一難かと悩ましく思っている。

2023年

2月

10日

前進の兆し

昨日まで、悶々と過ごしていた私が、重い腰を上げる日が来た。

 

1年前から思いついていた地域の方で、ふっと気が付くと独りぼっちといった気持ちになる方に、気楽におしゃべりをする井戸端会議のような場があればと考えていたのである。

 

先日6日に、数人の友人の理解者と打ち合わせをした結果が予想以上に今日に至るスピードで、私の背なかを押してくれたのである。

 

本当に物事が進むという事は、友人の支えがあってのことであるが、いつも私は必ずと言ってよいほど、人に恵まれている。

 

場を実現するために、私は地元の区民館の開催予定日の予約をするまでに至ったのである。

 

こうして凡そ、一年近く掛かった宿題の一つがスタートすることになったのである。

 

「ぼっちの会」として来月3月13日の午後と決まりました。

 

朝から重苦しい雪雲が垂れ込めていたが、私の気持ちは晴れ晴れと、長いトンネルを抜け出した達成感があった。

2023年

2月

09日

一年前の宿題

丁度、一年前の今日9日に、国立新美術館でのメトロポリタン美術館展のパンフレットが、クリアーファイルに挟まれたままである。

 

新聞紙上でも、ジョルジュ・ド・ツウールの「女占い師」に、私は強い衝撃を受けていたからである。

 

それ以来、私はある種の思い付きが広がっていくのが分かり、何時かはと

想い乍ら、何故か、踏ん切りがつかないまま、時は流れてしまった。

 

そのころ、私は長引く新型コロナウイルスとの生活に、心身ともに何とも言えない苦痛を覚えていたのである。

 

友人からもいつもの私ではないとの心配をかけるほどに、精神的に異常だったのである。

 

勿論、自分でも重々分かっていたのであるが、泥沼に嵌ったように、藻掻いても藻掻いても這い上がれないでいた。

 

その時に、私のようにコロナとの共生を受け入れるのが苦手な同世代の人がいるのではないだろうかと思った。

 

嘗て、病院ボランティアで、「お話相手」として、病気の方に接し、誰かに話すことによって、一瞬でも、眉間の皺が消えてほしいとの想いを思い出したのである。

 

「一年前の宿題」は、まだ、どちらも積み残したままといった情けない状況が続いているが、想いは絶え間なく私に揺さぶりをかけて来る。

2023年

2月

08日

東洋医学に託す

焦るなと言っても焦りたくなる足首の炎症に、ふと、10年近く前の記憶が蘇ってきた。

 

アキレス腱炎と診断されている足首の炎症に、嘗て点字ブロックを踏み損ねて、ぎくりと踵に痛みを覚えた時の症状が、今回と同じであった。

 

蘇った記憶とは、東洋医学というか鍼灸での治療である。

 

脳神経外科の手術後、新型コロナウイルス禍もあり、遠のいていたいたが

思い切って連絡を取った。

 

彼是私の自律神経失調症を治療して頂いた鍼灸院であり、足首の炎症も治療に短期間で回復して記憶が、今回、藁をすがりたい焦りに、即座に治療を決意し、出かけた。

 

永年の私の体質を心得ていたはずが、何故か私はしっくりいかないものを感じていた。

 

時の流れがなせるものか、信頼感の質の違いに気が付いた。

 

治療を終えて、自宅までタクシーを利用して帰宅するタクシーから見える街並みは既に明かりが点り、久しぶりに神保町界隈を通り抜ける際は、古書店を歩き回った懐かしいセピア色の紙の匂いを思い出していた。

 

何故か、治療より、タクシーから見える変わりゆく街並みを楽しんでいる私がいた。

2023年

2月

07日

友人の底力

昨日に続き、友人から今回のプロジェクトに対して、アシストしてくれる頼もしい協力者の連絡が届いた。

 

正直言って信じられいというのが本心である。

 

友人の一言で、未だ未知数のプロジェクトに、惜しみなく力を貸してくれるという何と、私は恵まれているのだろうと、涙が出るほど嬉しかった。

 

もう迷うことなく、進めていくのみである。

 

恐らく年齢から言って、このプロジェクトが人生における最後の軌跡だと

想っている。

 

最初から大成功なんて言った想いはなく、躓きながら、積み重ねて行けば良いと、考えている。

 

それにしても、昨年末からの足首の炎症が想定外で、今後のことを考えると、足首のふくらみと痛みを悔しく思っている。

2023年

2月

05日

初午の日です

今日は、なんでもその年の2月最初の午の日を「初午」と呼ぶそうだ。

 

「初午」で思い出したことがある。

祖父が健在の時、私の手を引いて近くのお稲荷さんに出かけた記憶があり

油揚げを備えていた記憶がある。

 

祖父の家に帰ると、叔母から大きな三角のいなり寿司を手渡された私は、その大きさとずしっりとした重さにびっくりした。

 

確か、叔母は手渡す時に、「こんこん寿司」といった。

 

最近、小さい頃のことを思い出すことが多くなってきたようだ。

 

今、こうして記憶を辿ると、「こんこん寿司」の味までは、思い出すには

至らないが、兎に角、大きさと重さに驚いたのは確かである。

 

今日の昼食は、いなり寿司と決めた私は、近くのコンビニで、一口サイズの俵状のいなり寿司を、早速買い求めた。

 

店員さんに「今日は初午だから、いなり寿司が売れるわよ」と言ったら、

キョトンとした顔をされた。

 

私だけが昔の思い出に燥いでいるだけなのかもしれないと想った。

2023年

2月

04日

手を抜くと

今日は24節気の立春、春の始まりで、一年の始まりだ。

 

もう一度、背筋を伸ばす機会があるわけで、何となく、ご和算で願いましてはといった気持ちになる。

 

今年こそはと、勢い込んで頑張ろうと固い決意をしたものの、気が付くと

すっかり、置き去りにしている。

 

手帳に書き込んである予定を見ると、我ながら、驚くほど、物事が進んでいないではないか。

 

言い訳をするつもりは無いが、足首のアキレス腱炎が予想以上に回復しないことに、原因はあると思うのだが。

 

確かに、2人のドクターから一寸時間が掛かると言われているが、すっかり

気が滅入っていることは明白である。

 

凡そ、10年前に、右足首を同じ炎症で治療した時は、ものの10日間ほどで

回復したのだが、今回は両足という情けない状態なのだ。

 

まあ、愚痴はこのくらいにしておこう。

 

昨日3日の日本経済新聞の夕刊に、漫画家の竹宮惠子氏の「あすへの話題」のタイトル「手を抜くと自分に返ってくる」とあり、私の気持ちそのものである。

 

又、足首に戻るが、朝、昼、晩と毎日最低3回はリハビリをするようにとの

指導を受けているが、ついつい、せいぜい思い出した時になる。

 

竹宮惠子氏は「手を抜くと自分に返ってくるから、もういまは問題をそのままにしない」と。

 

分かりました、この辺りで、リハビリをします。

2023年

2月

03日

節分蕎麦

昨日2日に続き、今日も空一杯に重い雲に覆われた、極寒の寒さについつい

足首を庇い、自宅に引きこもりたい気持ちと闘う。

 

近くの整形外科で低周波の電気治療を続けているので、午後からはと決めて、午前中は、6日のプロジェクトの見直し案を考えているうちに、昼食を

準備する時間になった。

 

昼食は朝から、「節分蕎麦」と決めていた。

最近というか、新しい年を迎えてからというもの、私はご飯が食べられないというか、身体が拒否する。

 

麺類であれば、ウェルカムなのだが、自分でも不思議に思う。

依って「節分蕎麦」食べて、厄を断ち切りたいという想いが強い。

 

常に私の頭から今現在離れない「厄」は、足首の痛みを一刻も早く治したいという想いが、昼食の節分蕎麦にも表れている。

 

嘗ては、蕎麦よりうどんの方が何となく食べやすかったが、東京の生活が

長くなってだろうか、記憶を辿ると、編集者時代に蕎麦の美味しさを体験した。

 

それ以来、私は自分でもうどんより、蕎麦を選んでいる。

変わり映えがしないが、そのような次第で、月見そばという我が定番を、

「節分蕎麦」として食した。

 

さてさて、願いかなって「厄」は祓えただろうか。

2023年

2月

02日

赤いマウス

数日前から、相棒のパソコンにとって、マウスがお疲れ気味で、いよいよ

かと思いつつも、何とか、役割を果たしてくれた。

 

しかし、今朝から、電池を交換しようができるだけのことを試みたが、万事休すである。

 

以前はタッチ操作で抵抗なくこなしていたが、マウスを勧められて以来というもの、すっかりマウスの御世話に成っている。

 

しかも、小ぶりの赤いマウスで、小さい私の手に馴染んでいた。

 

7か月の未熟児で世の中に飛び出したせいか、身長も152センチ、足のサイズは21.5センチ、手のサイズはゴルフで使用する手袋が最小の17という次第で、マウスも微妙に握った時の感触が異なるのである。

 

今朝から、足首というか、ふくろはぎが突っ張ているために、午後の予定を変更したのだが、どうしても、マウスの必要性には勝てず、量販店まで

出かけた。

 

これまで愛用してきたマウスは見当たらず、いくつかの小振りのマウスを手の感触を確かめながら、「赤いマウス、赤いマウス」を探した。

 

私が「赤いマウス」を求める根拠については一寸、内緒にしておきます。

 

店員さんも私の想いをくみ取って数点のマウスを揃えてくれた。

 

唯々赤いマウスに拘って迷っている私に、店員さんが、「このマウスは保証期間も長く、問題があると直ぐ対応してくれますよ」との一言で、数点の赤いマウスから、一点のマウスに決めることができた。

 

早速、パソコンと共に、無くてはならない存在になった。

2023年

2月

01日

逃げない

今日から如月、「2月は逃げる3月は去る」といわれ、気ぜわしい月のスタートである。

 

残念ながら、睦月の一月はどうも、実り薄き納得いかないままに終わった想いが強く、31日の日々に対して、勿体ないというか、取り戻せない悔しさを噛み締めて、逃げる如月を迎えた。

 

とっくに正月気分は抜けているはずであるが、未だ一か月を過ぎたばかりという甘い考えと、はや一か月を過ぎたという考え方がある。

 

最近というか、近年は後期高齢者のせいか、必ず「無理をしないで」というフレーズが投げかけられるのである。

 

正直言って、私はその言葉に対して、素直に受け入れられないのである。

という事は、私に対してそのような視線で私との繋がりを持っているのかという事である。

 

別にがむしゃらに頑張る気持ちはないが、そっと見守るという想いにはならないのだろうかと思うと、私は、逆に反抗心が頭を擡げて来る。

 

しかし、熱く成った頭を冷やすと、寧ろ、言葉の重さや力を斟酌しないで

発している人に対して、とやかく取り立てることは、相手と同じレベルで

対処していることである。

 

もう一歩、逃げないで「高みの見物」の心境に至らなければならない年齢に目覚めなければいけないのである。

 

先月29日の日本経済新聞の文化面に、木内昇氏は、「今日も一所懸命生きとるな」という考え方に無性に頷きたくなるのである。