2024年
3月
31日
日
昨夜から室内の温度が上昇気味で、電気毛布の「弱」のスイッチを切る。
7月上旬の28℃になるとの予報通り、暑い。
さぞかし桜も戸惑っているのではないだろうかと、桜を案じたくもなるような暑さだ。
今日は、キリスト教のご復活・イースターという祝日だ。
利用しているスーパーでもお彼岸と、復活を意味する「卵」に関係したグッズが仲良く並んでいた。
お彼岸が過ぎた現在は、イースターのグッズと母の日のプレゼントのご案内に変わっている。
開店以来利用しているスーパーだが、恐らくイースターを商品化したのは
今年が初めてである。
中学、高校をミッションスクールで教育を受けた私は、この復活祭は、春休み中だったり、或いは新学期に入ってからと、暦の移動がある。
復活祭は、心身ともに整えて、新しい年を迎えましょうという日である。
明日から始まる卯月4月の日々を、どのような過ごしていこうか、新しく何かにチャレンジしようかなどと、思い過ごすのも愉しい時間である。
2024年
3月
27日
水
久し振りにエレベーターの「今日は何の日」によると「桜の日」とある。
カメラに収めたので、引用すると七十二候の「桜始開(さくらはじめてひらく)」と、3かける9は27の語呂合わせと時期的に重なるという。
桜にしても、今日こそと何度も何度も予定日を裏切るような天候の気儘さにふりまわされ、未だに開花寸前でストップ状態である。
近くの公園の桜の木を幾度も見上げているが、未だ固く口をつぐんだままである。
その公園を通り、2か月に一度の循環器の診察に病院に出かける。
診断結果は、凡そ一年近く高血圧だったが、お陰様で降圧剤は服用しているが、ベストの数値が続いている。
というわけで、これまで服用していた薬の量が1種類になった。
私にとっては、今日は「桜の日」「桜咲く」と言える。
今後、逆戻りしないように食生活、日常生活を気を付けようと誓った。
夕刻、もう一つの公園の桜が二輪花を咲かせていた。
2024年
3月
25日
月
嘗て日本の交番は、海外でも話題になった記憶がある。
処がいつの間にか、交番から地域安全センターに移行した処もあり、交番を見付けても、「パトロール中」というボードに、不安を覚えるのは私だけだろうか。
わが地域も交番から地域安全センターになって久しくなる。
これまで、金融機関のビルの一角にあり、毎日、現金運搬の際は警備員と共に警護に当たっていた。
金融機関としては心強い存在であったと思うが、その金融機関の時の流れで統廃合になり、建物の老朽化もあり、取り壊すことになったそうだ。
巷のうわさで耳にしていたが、随分お世話になった経緯もあり、思い切って問いあわせた。
間違いなく、この地域の安全の灯りが間もなく消えることになった。
特にここ数年の変化のスピードが加速するのを、唯、指をくわえているしかないのだろうか。
2024年
3月
24日
日
今日、友人の誕生日祝いのお誘いを頂き、ランチをご一緒する。
案内されたホテルの存在は知っていたが、私は利用したことがないと告げると、じゃあ決まりとなった。
満ち潮だろうか、たっぷりとした水量の隅田川を渡り、東京大空襲の面影は今はない横網公園の先に、両国第一ホテルがあった。
一階のレストランは、春の陽射しが差し込んでいた。
ランチメニューでまず目に入ったのが、「メバルの軽い煮込み・デュグレレ風」で、他のメニューは眼に入らない。
何故かといえば、メバルは「春告げ魚」と言われ、瀬戸内海で育った私は
願ってもない幸運である。
その美味しさは期待を裏切ることなく、懐かしい故郷の味に満足した。
又、テーブルのランチョンマットがこれまた、ホテルの立地である下町の古地図に、この地を大切にしている姿勢にも好意を覚えた。
この古地図のランチョンマットは、使用後は頂けるという事で、帰宅後、
古地図に当時の想いを馳せる楽しみができた。
ホスピタリティと言われる「おもてなし」を、忘れがちな私に友人の誕生日祝いで思い出すことができた。
2024年
3月
22日
金
昨日、20日に体調を崩した友人のために、私の判断で駅員さんから救急車を呼ぶ決断をした私は、救急車の所轄先を聞いていた。
これまでお世話になった救急車の所轄先を必ず聞いておくのには理由があり、後日に報告とお礼をするためである。
どうしても「ありがとう」の一言を伝えたくて。
ある時は、署長さんがわざわざお礼に訪ねてくれるとは、今から署員を集めるので、直接署員に伝えてほしいと言われたこともある。
そんな次第で、今回もメールでお礼の気持ちを送信していた処、丁寧な返信が届いた。
今日、故郷の小学校から、A4サイズの封筒がポストに入っていた。
エレベーターが待ち遠しく、早く開封したいという想いで心が逸る。
2023年、創立150周年を迎えた故郷の母校の小学校からの、記念アルバムとPTA新聞と校長先生のお手紙が同封されていた。
大きく成長した後輩というより子どもたちから、出会った時の面影が残っており、胸が熱くなる。
丁度、縁あって母校の小学校と、卒業生と6年の時を経たという事は私も卒業したことになる。
そして6年間で2人の校長先生ともお別れすることになり、母校を訪ねても今年の卒業生で顔見知りの子どもたちがいなくなる。
東京から母校に帰った6年間、笑顔輝く子どもたちとの出会いは私にとって大切な宝物です。
「ありがとう」
2024年
3月
19日
火
今日の午後の予定が変更になり、社会福祉協議会のシンポジュームに出かける。
副題が、セカンドステージで輝く!男性たちの地域でデビュー!とある。
メディアでも、定年退職した男性の社会参加が、なかなか腰が重く、馴染めない時間を過ごしているという。
今日は3人の男性が、セカンドステージの地域参加についての経緯に始まり
現在の活動内容を聞けるという。
恐らくこれまでのキャリアを生かす、或いは全く関係のない新天地に踏み出す意気込み、仲間を集い広がりを求めてといった、個性あふれる内容である。
結論として、私はとても適わないパワーを持っているのに驚くと共に、パワーがあるなあと感心した次第である。
改めて、話を聴くことによってヒントを掴む効果がある。
予定が変更になって、大きな収穫の日となった。
2024年
3月
18日
月
2020年の9月に、脳髄膜種の切除を脳神経外科で手術して、早や3年半を過ぎた。
お陰様で、問題なく日常生活を過ごしているが、一年に一度MRI検査を受けている。
今日がその日で、一年ぶりである。
相変らず、耳栓をしていても、工事現場に似通った音は変わらない。
およそ、20分ほどであるが、検査日によって音が違って聞こえる。
脳外科の主治医の先生から、異常なしの診断にほっとする。
次はコロナ太りでポッコリおなかの改善のために銀座に急ぐ。
地下鉄から地上に出ると、もうもう銀座の通りはインバウンドで溢れ、何となく蟹のように体を横にしてすり抜ける状態は依然と変わらない。
およそ、一時間半近く全身が解されて、快適になる。
また来た道をたどりながら、次の目的地に向かう。
久し振りに出会う仲間に、お互いがお互いにエールを送る関係は、目的のために頑張った同級生だけに、ツウカーである。
外に出ると、夕闇が迫り、見上げた空にうっすらと月が見えた。
今月は現役時代と同じ様に、月末まで予定がびっしりである。
疲れもあるが、達成感、満足感にファイトが湧いてくる。
2024年
3月
15日
金
パソコンと仲良ししていると、聞きなれない表現に思わず傍らのメモ帳に書き留めた。
気象庁用語で「一円玉天気」と言って、これ以上崩れようがない天気のことだそうだ。
思わずクスンと笑みを零れた。
そうだ、先日12日に「ぼっちの会」も一年間、無事に終了し、来月から
3年目に入る。
本年度の事業報告を今月中に、社会福祉協議会に提出義務があり、今日は
「一円玉天気」、思い切って目的地まで歩くことにした。
嘗ては区内はほとんど歩いていたが、つい自宅の前でバスを利用してしまうが、体調も良く思いきって歩くことにした。
道すがら、それぞれの家の前に並べられている鉢植えの花々を楽しみながら、目的地に向かった。
勿論、帰路もちょっとコースを変えて歩いた。
花粉には勝てず、目元が痒くなったが、「晴れ」は元気になれる。
2024年
3月
09日
土
隣接する図書館で、「ビブリオバトル」が今日9日に開催されるお知らせにバトルとして応募した。
今日の午後、いよいよその当日である。
何しろ初めての経験なので、ネットで「リブリオバトル」について、ネットで検索した。
2007年に京都大学から広まったそうで、チラシには「小説好き 集まれ」のキャッチフレーズに、学び直しても良いなとの想いが働く。
これまで、小説との関わりは大学生までで、悲しいかな小説を読んでいても集中できない性分だ。
社会に出て出版社で日本文学全集の校正の仕事に関わった。
そのせいか、興味を以って買い求めた本を知らず知らず、校正しているのである。
嘗て、誤字脱字を見付けて出版社に連絡すると、気持ちばかりの報酬があったと、大先輩の話を聴いたことがある。
別に私にはそのような下心はない、唯、物語に身を置けないというだけであって、今回の応募にはもしかして変わりたいという望みを持った。
プレゼンテーションの本は、重松清の「とんび」である。
とっぷりと作品に集中できたが、「リブリオバトル」から程遠い5分間を費やした。
チャンプになった青年は、セオリーに沿った素晴らしい出来栄えだった。ガーンと頭をぶつけたが、次に繋がるための貴重な収穫だと思っている。
2024年
3月
07日
木
弥生3月になるや、忙しくなる予感を感じていたが、現実となっている。
これまでに経験したことのないクレカショップ、先月末からのマイボディの断捨離プロジェクトであるイノベーションと続いている。
今日の午後は「冷凍食品」の講座に参加する。
冷凍食品の利用からかなり久しく、時が流れている。
振り返ってみると、餃子と焼きおむすびをよく利用していたが、その後、縁遠くなっている。
冷凍食品は1964年の東京オリンピック、大阪万博により目覚ましい成長を遂げたという歴史があると知った。
衛生管理、品質管理においても、認定制度をクリアしたものが市場に提供されているという。
温度の設定も-18℃以下という基準の元に管理されており、夕刻スーパーで、ショーケースの温度を確認した。
コロナ禍に始まった新しい生活スタイルには、更に冷凍食品の力は、大いに歓迎される存在である。
今後、冷凍食品売り場に足を運ぶことが多くなりそうだ。
2024年
3月
06日
水
うるう年に当たり、6日が24節気の一つ「啓蟄」だが今年は一日早く季節が進んでいるような気持を覚えた。
いよいよ70代最後の歳、とうとう79歳という瀬戸際である。
改めて、線引きをして、胸を張れるような年にしたいという心の悪い癖が頭を持ち上げた。
危ない危ないとブレーキを掛けた。
新年に決意したことはもう、遥か彼方に消え失せている。
所詮、身の丈しらずであったと、いまさら悔やんでも仕方ない。
寧ろ、過ぎ去った2か月間を良き成長だったと考えて、楽しく生きて行こうと想っている。
既に、わがボディのリノベーションは、最も目覚ましい決意であり、臆せずにチャレンジ精神を忘れないように、失敗を恐れず、泳ぎ続けて行こうと考えると、私の中でウキウキ、ワクワクしてくるから不思議だ。
まあそんな次第で79歳の誕生日を迎えた。
2024年
3月
03日
日
今日は桃の節句、ひな祭りである。
昨年、キラキラと輝かせた若き青年から、「今度独立してお店をオープンしますので来てください」と案内されて、凡そ半年近い月日が流れた。
日頃、知り得ないマンションの住民には、素晴らしいキャリアや職種を持っている方たちに巡り合う。
当時、組合の理事長をしていた時に縁ができた一人の若き経営者としてスタートラインに立った住民の一人であった。
必ず、伺うからねと約束するも、何度聞いても記憶がプツンと切れてしまうという状態にあった。
偶然にも、居合わせた方が、トレカに関心をお持ちで、午後にご一緒させていただくこととなった。
一歩足を踏み込んだ途端、別世界に自分がいるという何とも不可思議な世界に気が付いた。
犇めく若者の渦の中、私を取り戻すキャラクターを見付けた。
トレカショップに出かけるのは初めてであるが、私には一つだけ、仲間入りが出来るのが「ワンピースONE PIECE」のルフイーの笑顔の記憶しかなかった。
なんども手に取る私に御一緒した方からのプレゼントを遠慮なく頂いた。
暫くご無沙汰していた世界に舞い戻れたという幸せに満足、幸せな日曜日だった。
2024年
3月
02日
土
今朝は北風が強く、ラジオ体操をしているうちに手が冷たくなった。
目の先に太陽が眩しいほどの元気さに、イソップ物語の「北風と太陽」の話を思い出しながら体操を続けた。
昨夜から今週土曜日のリブラㇽバトルのために、貫徹とはいかないまでもついつい引き込まれて読み続けた。
やはりチョイスした小説は、私にとっては正解であった。
故に眠いはずだが、朝からやる気満々、昨日買い求めた小松菜とほうれん草の胡麻和えを前に、その反動が来ないことを祈るばかりである。
空は強い風で、故郷の「あさくちブルー」に劣らない程の素晴らしい青空が広がっているが、風は冷たいままだ。
予定通りに運び、こんな快適な日もあるのだなあと、集中力も途切れることなく続いた。
サクサクと片付いていくが、夕刻になると、足の張りに気が付いた。
日課の散歩を忘れていたのだ。
日没前にと急ぎ足で公園を通り過ぎようとした時、足もとに何かが触っているのに気が付いた。
何と、先月公園デビューをした五か月になるレディのワンちゃんでした。
思わず、可愛いお嬢ちゃん、寒くないかなと話しかけると、瑞々しい鼻を摺り寄せて来た。
今日は可愛い小さなレディが私の心を安らげてくれた。
公園の白木蓮も蕾が日を追って膨らんできているので、楽しみだ。
本格的な春になるまで、三寒四温の日々が続くようだ。
2024年
3月
01日
金
今日から弥生三月、気象庁によれば季節は冬を脱して「春」が来たのだ。
今月はどのような月になるのだろうと、思いを馳せていた時である。
あれ、なんだ、ベッドと共に体が揺れている。
段々揺れが大きく成り、思わず枕もとの時計を見ると、5時43分だった。
確かこの時刻は、27年前の5時46分、阪神淡路大震災が発生した時刻と符合しており、更に2か月前の能登半島地震と日付が重なる。
何か嫌~な気持ちが蔓延した重苦しい朝を迎えてしまった。
昼夜、ラジオ深夜便をかけているのも、何時かはこんなこともあろうかと
想ってのことだが、即座に震源地は千葉県東方沖との報道に、なおさら恐怖心が走った。
日本中どこにいても、安住の地はないと分ってはいるが、最近あちらこちらでグラグラと揺れている現象に、関東大震災並みの直下型地震か、南海トラフの大津波に飲み込まれるか、思い煩ってもどうにもならない。
生憎の雨で、毎朝のラジオ体操も自宅で独りのスタートになった。
終わって窓を開けると、霧雨が音もなく静かに降っていた。
パソコンを開くと、昨夜申し込んだビブリオバトルの返事があった。
これで、私の気持ちは前向きに変わっていくのが自分でも分かった。
「春が来た」のだ。