2024年

6月

30日

誕生日に花を贈る

幾つになっても「お誕生日おめでとう」と言われて、不快な思いをする人は恐らく皆無ではないだろうか。

 

思いがけなく「おめでとう」のメッセージとプレゼントが届いた場合、重荷に感じる人も少なくないのではないだろうか。

 

持って回ったような言い回しをしたが、もし私であれば、嬉しい反面相手の好意に対して、お返しをしなければと考えてしまうからである。

 

却って疎ましい、煩わしいと受け止めてしまうこともあるのではないだろうか。

 

そのようなお付き合いの暑苦しさを払拭したいと、地球温暖化の影響か、将又加齢によるものか、考えた。

 

「おめでとう」という「心、気持ちが伝われば良い」との結論に達した。

 

2000枚近くスマホに撮りためた写真から、誕生日の花をメッセージに添えて、相手に送信しようと思いついた。

 

因みに、今日の誕生日の花は「ブーゲンビリア」、花言葉は「あなたは素敵」です。

2024年

6月

27日

驚く読書の数

お陰様で、ヘルペスも薬には勝てず服用4日目にして白旗を掲げた。

 

先月といい、ヘルペスになると極力、ゆっくりと過ごすようにしているが

どうも、ただぼんやりと過ごすのには抵抗がある。

 

では、どう過ごせば良いかと考えるに、隣接する図書館をフルに活用することによって、次へのマグロちゃんに戻る時の原資になる。

 

恐らくは、その原資について、かなり以前から図書館にいくつものリクエストをしていた書籍が堰を切ったように、ヘルペス発症時期と重なったのである。

 

これ幸いにと、未だにラジオ深夜便をBJM代わりに流しながら、横になって、リクエストの書籍を読むことによって、またファイトがわてくる。

 

どうも知識が枯渇すると、体調にも影響するようだ。

 

幼少時、父親から「病気の問屋」と言われた私だが、その一言が逆に今では、なにくそ精神に繋がっているように思っている。

 

今日までに、さてさて何冊読破したのだろうか。

2024年

6月

24日

ヘルペスを発症

最近の私は、マグロちゃんのニックネームに恥じず、年甲斐もなく動き回っている日常に満足している。

 

ところが、先週金曜日の夜に、気力が途絶え、無気力状態になった。

時々、頭のてっぺんのあたりが、チクチクと痛む。

 

もしかして、先月5月にも発症した単純ヘルペスではとの予感がする。

 

翌23日も体調は回復しないばかりか、相変わらず無気力状態が続き、自分でも少し頑張り過ぎたかなと反省の気持ちが過った。

 

入浴後、タオルで体をふいた途端、ピリッと案じていたヘルペス特有の痛みが走った。

 

そのようなわけで、今日、皮膚科を受診する。

 

単純ヘルペスとは、彼是30年近くのお付き合いの歴史がある私には、発症前の独特のもやもや感やチクチク感が数日続くというプロセスに、素人の私にも予感できるのである。

 

不思議と、活力に満ちている時に発症する。

これまでも、先のマグロちゃんモードに発症する場合が多い。

 

物事は考えようで、有難いシグナルと受け止めている。

2024年

6月

19日

染み抜きの技

これまでの日本の季節によれば、六月一日は「衣更え」の日で、夏服に代わり、季節を感じた。

 

近年はその季節による情緒ある習慣は、地球の温暖化により、このままでいくと四季折々なんて言葉は、死語になるのではと寂しい想いになる。

 

お気に入りのスカートといえば聞こえが良いのだが、コロナ太りに始まった「ポッコリお腹」がクリアできなくて、ウエストがゴム入りのスカートを繰り返し着用している。

 

そのような次第で、クリーニングに出したばかりのスカートに、ゴルフボールほどの染みを見つけた。

 

先ほど、引き取ってきたスカートのタグには、染み抜きの担当者の氏名と染み抜きの種別、結果報告が記載されている。

 

これら以上に、私が「凄い」と思わず声を上げたのは、染みの種類が「マヨネーズ」とあった。

 

「技術」というか「科学」というか、驚きと共に努力を惜しまない技術者に対して「ありがとう」と伝えたい。

2024年

6月

16日

切手整理ボランティア

地域の社会福祉協議会のお知らせに、コロナ禍で暫くお休みしていた「切手整理ボランティア」を開始するとの情報に、ぼっちの会としてお手伝いすることになった。

 

水につけて、封筒を始め葉書などに貼ってある使用済み切手をはがし、乾かし、金種別に仕分けするといったボランティア活動である。

 

整理した切手は、社会福祉業議会から買い取り業者に買い取ってもらい、その収益は地域福祉活動に活用するといった主旨である。

 

またいつかは再開する日もあろうかと、切り取っていた切手もあり、なんと、初回の金種は35種にもなった。

 

この金種の多さから見ても、その時代の歴史に当時を思い出して楽しいと好評を得た。

 

確かに中島みゆきの「そんな時代もあったよね」のフレーズが重なる。

 

ぼっちの会でも「切手持ってキッテね」とお寒い掛け声と一笑されそうだが、使用済み切手が集まってきた。

2024年

6月

13日

火災感知器が作動

今日は午後から婦人科がん検診に出掛けようと、エレベーターのボタンを押すのと同時に、自動火災報知機の感知器が作動した。

 

かれこれ、東日本大震災の年にマンション住まいを始めて、13年目にして

初めて、報知器の緊迫した音声に、思わず、事態が呑み込めずにフリーズした。

 

そのフリーズも一瞬で、管理組合の立場上、臭いは、煙は発生回数を知らせる場所に、非常階段に走った。

 

ところが、時計を見ると、検診の予約の時間が迫っている。

 

ちょうど、ランチタイムの休憩時間帯と重なり、マンションの周囲は黒山の人だかりになり、消防車のサイレンも段々大きく聞こえる。

 

管理員により、誤作動との報告に安心するも、私自身は時刻が刻々と迫り

気が気ではなかったが、滑り込みセーフ、間に合った。

 

昨年末に感知器を取り換えたばかりで、感度に優れ、幸いであったが、今後について大いに反省点が残る。

 

わが地域でも、投資用のマンションが林立し、入居者の生活スタイルが多様になり、必ずしも、消防点検に協力的とは言えず、管理人も清掃を済ませるだけという管理体制が多い。

 

ある人がこれからは「安全と安心はお金で買う時代」といったが、まさに

その通りである。

 

幸いに私のマンションは、日曜日を除いて、日勤体制である。

つまりは、安全と安心は「お金」で守られているということかな。

2024年

6月

11日

勘亭流を学ぶ

昨日10日は入梅・時の記念日であるが、年々異常気象により、すっかり情緒性に欠けつつある我が身を案じてしまう。

 

昨日は8週連続の月曜日の雨のスタートになる。

 

そのような次第で、今日の「ぼっちの会」が雨にならないように願っていたが、お陰様で、まだ「晴れ女」の余力が残っていたようである。

 

毎月「お勉強会」といった形式で、「地元の力」を借りて、お喋りプラス

学びの場も加えてきた。

 

今回は、歌舞伎の独特の個性ある文字といえば、ああと頭に浮かんでくる

のではないでしょうか。

 

地元の方で凡そ20年近く、その勘亭流の教室に参加している方にお願いして、歴史に始まり、特徴のある字についてとか、とても心が豊かになってくるのがわかる。

 

いくつになっても新しいことに触れる新鮮さと喜びを忘れないでいたいと思った。

2024年

6月

08日

歯が沁みる

先月末、骨粗鬆症との診断を受け、お薬の世話になって間もなく、顎と歯が微妙な反応を示した。

 

あごは締め付けられるようで、歯は一寸でも冷たいもの、熱いお茶等々に

飛び上がるような痛みを感じた。

 

服用後、僅か一週間での出来事に、居ても立っても居られない。

 

薬局のお薬説明文書を取り出してみると、やはりやはり、注意書きに副作用としてバッチリ明記してある。

 

その際は歯科あるいは口腔外科を受診せよとある。

 

頼るはかかりつけの歯科医院で、早速受診に出かけた次第である。

 

銀座に出かけるのは、本来楽しいはずが、診察の結果に思いをはせると、

足取りが重くなる。

 

レントゲンを始めとして細やかな診療にも、心がざわついている。

視覚過敏症との診断で、骨粗鬆症の薬は中止することになった。

 

ホット胸を撫で下ろし、帰路のなんとも言えない清々しさい気持ちになったか、曇りない青空に飛行機雲が見えた。

2024年

6月

05日

白い花が好き

このところ、白い花の季節に私は何といっても、白い花が大好きで、つい

道すがら約束の時間を忘れるほどに、立ち止まってしまう日々が続く。

 

梅雨を代表する紫陽花、泰山木、梔子に、故郷で山桜桃梅、柿の花と懐かしく思い出す。

 

昨日に続き、日本経済新聞「あすへの話題」に元警察庁官の松本光弘氏が

神田駿河台の三井住友海上火災保険株式会社の屋上庭園で、ニュートンの

リンゴの木の子孫を見つけたという内容である。

 

ニュートンのリンゴの木には、私も小石川植物園で初めて見たことを思い出す。

 

リンゴの木の花弁と清楚さに、山桜桃梅の花の可憐さが重なった。

 

柿の花は小さいが、花そのものは肉厚で、落ちた花をかき集めて楽しんでいた。

 

散歩コースに利用している公園には、枇杷の木と柿の木が並んでいる。

 

この柿の木は、長崎で被災した2世を植樹したものと聞いているが、未だ、

開花した気配はないようだ。

 

いずれにしても、私は白い花が好きという結論に至る。

2024年

6月

04日

大丈夫ですか?

今日4日の日本経済新聞の夕刊に立教大学名誉教授の鳥飼久美子氏が「あすへの話題」に「大丈夫」について、様々な切り口で掘り下げている。

 

その一説を紹介すると、『「大丈夫」はもともと「頑固なさま」や「間違いなく、たしかに」を意味するが「必要・不必要の意を確認する」時にも使う』とある。

 

嘗て、病院ボランティアをしている時、非常に辛そうにしている方に私は

「大丈夫でいらっしゃいますか」と、即座に厳しい表情で、「大丈夫じゃないですよ、見ればわかるでしょ」と。

 

厳しい指摘に、改めて、「大丈夫」という言葉を、無造作に使っていたことを悔やんだ。

 

ある時、司馬遼太郎氏の「風塵抄」で、「大丈夫」について、「曖昧な言葉」だとあった。

 

確かに「大丈夫?」といえば、反射的に「大丈夫」と反応する。

 

先の病気の方からの指摘を、それ以降「大丈夫」について、具体的な一言を添えて、末尾に「大丈夫でしょうか」と。

 

因みに、久しぶりにセピア色の三省堂の新小辞林で「大丈夫」は、『あぶなげのないさま。確かなさま』とあった。

 

いやはや、日本語は奥行きが深いゆえに、興味を持ってしまう。

 

本当に、久しぶりに苦い体験をした「大丈夫」を懐かしく思い出した。

2024年

6月

02日

パソコンがご機嫌斜め

まだお付き合いの短いパソコンが、突然ご機嫌斜めになり、頑としてビクともしない状態になった。

 

さあ頑張ろうと、スイッチが入った私は、悔しく歯ぎしりをする。

 

どうすることもできない事態に対して、少々、成長した私は、拘ることを止めるコツを見出したのである。

 

今日は「薔薇の日」だという情報に、数か所のご近所の薔薇を思い出し、

そそくさと散歩に出かける。

 

足を運んだ近所の咲いている薔薇を心ゆくまで楽しませてもらい、いつしか心が和らいだ。

 

花を愛でる気持ち、「花の力」を感じるひと時を過ごす。

 

いつしか、ご機嫌斜めのパソコンはプロに任せればよいと、結論が出た。

2024年

6月

01日

衣更え

嘗て、水無月こと6月は夏服に衣更えの日である。

 

ところが、いつごろからか、温暖化による気候変動で、季節感が変わってしまい、衣更えは死語になるのでは、あるいは既になっているといっても

過言ではない。

 

昨日のようにがくんと気温が下がり、風邪薬を服用するといった、予測の

着かない気紛れなお天気もある。

 

手帳に毎月、月の初めに目標を書き込んでいる。

 

今月は、赤のボールペンで「減量作戦」と記している。

 

意志の薄弱さにより、今年の2月から戦い続けているが、目標には程遠く、

ゆえに赤く書き込んだのである。

 

どうやら、私の衣更えは「意志の衣更え」が必要である。